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2015年10月14日 (水)

韓国の雑誌に寄稿

韓国で創刊される雑誌に日本の医療・保健情勢について寄稿するように依頼されたので

以下のような文章を書いてみた。翻訳が前提の文章なので用語の繰り返しが増え、情勢の捉え方も抽象的になった。

そのほうがかえって分かりやすいかと思い、ここにもアップしてみた。

 

最近の日本の医療保健分野での話題

 

―植木鉢モデルと大木モデル―

 

 

要旨:日本では世界に先駆けて急速に進行している超高齢社会への対策と、健康権を確立しようとする運動の影響との双方の理由で、医療と介護・福祉(以下介護とのみ表記)の一体化が医療・保健分野の最大の課題となっている。しかし、そこでは政府・日米大資本本位の新自由主義的な政策と、健康権確立の立場からの展望が激突している。

 

 

 

 「地域包括ケア研究会」は、名前は無味乾燥でありふれているが、実は厚生労働省と一体になって日本の医療・介護分野の政策を牽引している強力な組織である。それは日本最大の金融資本である三菱東京UFJ銀行のシンクタンクの中に置かれて、グローバル資本の意向を担った活動をしている。

 

ここで「地域包括ケア」という用語については、簡単に言って医療と介護の一体化を意味するものと思っていただいてよい。

 

その研究会が打ち出した2025年の医療・介護の一体化計画は、そのなかのイラストに因んで「植木鉢型」モデルと呼ばれている。この植木鉢が示されたおかげで、私たちはこの政策の新自由主義的で反国民的な本質を容易に読み取れるようになっ

 

 

それを考える前に、なぜ2025年までに医療と介護を一体化させるという政策が必要なのかということについて、説明が必要である。

 

1945年の日本の侵略戦争敗戦後、多数の兵士が日本社会に帰還して出産ブームがおこった。1950年ごろ生まれた人々は「団塊世代」と呼ばれる。この人々はその後の日本社会の中で最大の人口を擁する世代となったが、日本が70年間戦争をすることがなかったため死亡率も低く、その勢いを保って2025年に75歳に達することになる。そのため75歳以上の高齢者人口は2013年に全人口の12.3%(1,560万人)であったものが、2025年には18.1%(2,179万人)と激増し、年間死亡者数も2013年の126万人から2025160万人と増えると見込まれている。

 

75歳以上では何らかの介護を必要とする人が30%に達する。医療を必要とする人は介護が必要な人とはほとんど全部重複し、かつそれ以上である。

 

2025年に出現する「超超高齢社会」「多死社会」「多病社会」をどう国家・大企業の負担の増加なしに乗り切るかは政府の課題である。同時に、国民にとっても多数の高齢者に幸福な高齢期をどう保障するかはきわめて大きな課題である。

 

いずれにしても、人口1万人程度のコミュニティ(これを日本では中学校区と呼ぶ)を単位に、病院、診療所、各種介護サービス事業所、住民ボランティアを一体化して、切れ目のない高齢者のケアを進めていくことが必要となる。

 

 

この課題に対する政府の姿勢を示すのが上記の「植木鉢」モデルである。

 

すでに日本では2000年にドイツをモデルにした公的介護保険がスタートしている。費用の半分を公費とし、多様な介護サービスを準備することによって「家族を介護地獄から解放し、介護を社会化する」という目標は国民から歓迎された。しかし、介護保険費用が膨れ上がったため、政府は公的介護保険の理想は幻想だったという立場に後退し、公的介護保険の縮小に踏み切っていた。

 

かってなく大きくなった医療・介護の必要性と、縮小し続ける公的介護保険の間にある差は患者の負担の増加と住民の犠牲的ボランティア活動で埋める計画を政府は立てた。

 

だが、それを国民に納得させるイデオロギー的な仕掛けがないと計画は成功しないことが明らかだった。

 

それと同時に、日米の金融大資本、流通産業大資本からは医療・介護分野を市場化し、貧困な高齢者から略奪する新自由主義的な仕組みづくりが強力に求められた。これは多くの医療・介護サービスを公的保険外の商品に変えることで高齢者の預金を奪うということである。また貧困な高齢者からは高い公的保険料を可能な限り徴収して、かつ高い自己負担を課して公的医療介護サービス利用からシャットアウトすれば、富裕層が公的医療介護サービスを独占することも可能になる。―これを日本語では「やらず、ぶったくり」と呼んでいる。

 

そこで、国民を説得するイデオロギーと、医療介護サービスの市場化、商品化計画を統合して示したのが、冒頭に述べた植木鉢モデルである。

 

植木鉢の下のほうにある皿、すなわちこの政策の全てを載せる基礎の部分にはイデオロギーとしての「本人・家族の選択と心構え」がある。

 

これによって、高齢期の生活のあり方を高齢者本人と家族の自己責任で決めることが要求されている。要するに、本人と家族の持つ経済力で皿の上に載る医療・介護サービスを勝手に購入することを求め、それがかなわない場合は隣人のボランティア精神にすがるか、ひっそり静かに自宅で死亡すること、すなわち「孤独死」することを「自然死」として受容を国民に強要するものである。

 

同時に、現在日本全国で135万床が稼動している病院病床の削減の方向を政府は示唆している。今後の高齢人口の増大に、現在の高齢者の高い入院率をそのままあてはめれば2025年には152万床必要といわれている。貧困のため医療へのアクセスを失う人が増えているため、それを考慮に入れればより多数の病院病床が必要になる。

 

しかし政府の見込みでは2025年の病床数115とされた。必要な病床からみれば最低40万床も不足する。現在死亡者の82%が病院で亡くなっており、終末期医療のための病床も大幅に不足することになる。政府は在宅死を増やすことでこれに対処するつもりである。政府が孤独死を自然な死と思うことを国民に強要する理由がこうして見えてくる。

 

 

 

最近は、亡くなりかたの思想誘導も活発である。それは「北欧型の亡くなりかた」と呼ばれ、「自力で食物摂取できなくなれば、全てのケアを中止して死を待つべきだ」というものである。また、死に臨んで希望のない病院搬送をすることがないように支援することも強調されている。

 

「地域包括ケア研究会」はこのようなイデオロギー的統制に「規範的統合」という名前を与えて正当化しようとしている。

 

ただし、その結果として、地域に孤独死が溢れれば衛生や国民の情緒に悪影響があるので、政府は住民ボランティアに死後3日以内に死者を発見する安否確認を求めている。

 

 

 

商品として提供されるサービスの新自由主義的な市場化の順番が植木鉢の鉢である住居、植木鉢の中の土である生活支援として具体的に示されている。

 

すでに大手住宅会社は高額な高齢者用の集合賃貸住宅を大量に建設している。この高齢者用住宅を利用すれば、最低限でも死亡の翌日には発見される仕組みである。

 

それ以上の生活支援には、大手のコンビニ、大手の運送会社がすでに名乗りを上げている。

 

植木鉢に成長産業として咲く葉は、これまで商品化されることがけっして考えられなかった医療、看護、介護、リハビリ、保健予防である。すでに、大手のスーパーマーケットチェーンが店舗内に介護事業所を設置するとしている。

 

さらに、これまではばらばらに存在していた地域内の各病院を資本統合する法人の設立が推進されることになった。そのさい不動産資本が病院の土地建物を購入あるいは建設し、法人は資金を得て病院運営に専念するという形式で実質上営利化することが可能になろうとしている。その病院の医療が商品化されることは確実である。

 

 

 

 

 では、健康権確立の対場から医療・介護の一体化を進めようとする運動はどのような展望を抱いているのか。

 

それは健康権という大地に医療、看護、介護、リハビリ、保健予防がしっかり根を下ろし、住まいや生活支援が太い幹を作って自律と参加の保障されたQOLの高い生活や尊厳ある死が結実する大木のイメージで表現される。

 

 

 

ちょうど植木鉢のモデルを180度反転させたものもいえる。

 

医療、介護、リハビリ、保健については、公的医療保険、公的介護保険の後退を許さず、前進させる運動が必要である。それぞれの専門的従事者の人員増、とくに介護職員の低い待遇の早急な改善が大きな要求である。

 

医療と介護を一体化させる高度なネットワーク形成も資本の介入なしに進められなければならない。情報コミュニケーション技術を住民本位に駆使する方法も強力に探求されなければならない。

 

その中での医師のあり方も、住民の具体的な生活に精通して医療・介護の一体化の中でリーダーシップを発揮することに重点が置かれ、より社会的で総合的な能力を求められるものに変わっていく必要がある。

 

住居、生活支援という現在市場化の焦点になっている分野は公立住宅の建設や住民自身による協同組合的な事業への公的支援の組み合わせでもっとよいものになる。

 

以上のことが実現する鍵は医療・保健分野へのこれまでにない住民参加、住民組織の形成である。そのためには人口1万人を単位にしたコミュニティでの直接民主主義的な医療・保健事業の運営形態が創造される必要がある。その創造は私たちの責任である。

 

 

 

そして、重要なことは健康権の大地に根ざす大木は医療・介護だけでなく教育,文化、生産、労働、自治、環境などの領域でも必要であり、これらが一体となって「新しい福祉国家」という森を形成する展望が生まれてくる。

 

 

 

「新しい福祉国家」の「新しい」という言葉には、①これまで存在した企業内福祉にもとづく偽の福祉国家とは違う、②ヨーロッパにある、兵役や軍事への国民の協力との交換条件で成り立つ福祉国家とは違う、③新自由主義という新しい支配・略奪方法と闘争して勝ち取る、というほどの意味がこめられている。

 

 

 

まとめ

 

植木鉢モデルによって、医療・介護・保健を新自由主義の市場とし、国民の略奪の場とするか、大木モデル、あるいは森のモデルによって新しい福祉国家としての日本社会を築くかが激しく争われているというのが現在の日本の医療・保健をめぐる情勢である。

 

情勢を切り開いて行くものは、健康権をめざす住民患者の要求と、それに強固に結びついた医療・介護・保健従事者の運動以外にはない。

 

 

 

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