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2015年10月30日 (金)

2015.10.31 理事会挨拶原稿                

今月は長文になってしまった。

2015.10.31 理事会挨拶原稿                

前回の理事会で、9月18日―戦争法案強行可決の直前ですが―山口県出身の社会保障運動家である朝日健二さんが自宅でターミナル・ケアを受けられているところを訪問したことをお話しました。

「自分の切羽詰った依頼が民医連運動発展のきっかけになったのならそれ以上嬉しいことはない」とおっしゃっていただきました。

その後今月の16日に自宅でなくなられたという連絡を主治医の先生から受けました。朝日健二さんのご冥福をお祈りします。

同時にこのとき以外にはないという訪問の機会を与えていただいた西都医療生協の保坂先生には心から感謝しています。こういうことが可能な、医療生協や民医連のつながりの中で仕事をしている喜びも感じます。

さて、情勢は何を話せばいいか迷うほど動いています。 何より政府が沖縄県民の総意を踏みにじって無法な辺野古埋め立て工事を開始したことには怒りを抑えられません。全日本民医連としても緊急の声明を出していますので、ご覧下さい。(資料1)

それにしても色々ありすぎるので、1ヶ月を振り返るために10月28日水曜日のしんぶん赤旗の「論壇時評」(資料2)を取り上げてみたいと思います。

雑誌「世界」の山口二郎さんの文章(資料3)は私も面白いと思って読んだものでした。山口二郎さんは岡山出身なので、同じ中国地方という親近感は昔から感じています。彼が小熊英二さんと8月27日の日比谷野外音楽堂の市民集会でたまたま同席した時、小熊さんから「山口さんはいつも官僚や議員が相手なのではないか」と皮肉を言われて、それに限界を感じたからここにいると答えたのは、みっともない誠実さを感じます。学者としてアイデアを提供することで政党を変えようとして努力してきたが実らず、数万の市民のデモが深いところで政党を変えたと彼は見ています。その中でも本質的な変化を遂げたのは共産党だと言っています。

週刊誌「サンデー毎日」の白井聡さんの文章(資料4)は改めて同誌を病院待合室で探して読んだのですが、なかなか痛快でした。共産党の自分を捨てた広範な野党共闘の呼びかけに応じられないような政治家は「とっとと消え失せろ」といっています。

まさにその通りで、本気で違憲の戦争法を廃止する、それも次の参議院選挙と衆議院選挙を通じてなるべく早期に達成するにはどうすればいいかを今こそ考えなければならないのだろうと思います。  

山口二郎さんの文章の最後にでてくるように「生活の党」の小沢一郎さんは「日本版オリーブの木」というアイデアで比例での統一候補といっていますが、むしろ選挙区での統一候補擁立、比例では政党選挙のほうがよいのではないかと思います。それは山口二郎さんも結論にしていることです。  

となると、来年の参議院選挙でも、2012年に飯田哲也さんを支持した県知事選挙のような幅広い市民の共闘を作り出さなければならない、そのためには「どうする参議院選挙」という市民討論会を開くべきではないのかなどと思います。  

そういうことをあれこれ考えていますと、花田克己さんが不自由になられた体を押して雑誌「詩人会議」10月号を診察室に届けてくれました。  

表紙をみると 鎌倉英也「加藤周一 幽霊と語る」という連載があることが分かりました。2009年に同名の映画を発表した監督です。  

改めて連載を読み直すと、8月号(資料5)で2006年12月8日、日米開戦65周年の日に加藤さんが東大駒場キャンパスで行った講演のことが触れられています。

「老人と学生の未来-戦争か平和か」と題されたその講演で、加藤さんは大略「老人と学生という(大勢順応の会社員期間40年を間に挟んだ)二つの自由な精神の協働・同盟が9条廃止という改憲のたくらみを挫折させることができる」ということを述べています。  

この「老人学生同盟」の予言は2015年夏に実現したのではないかと思います。9条破壊法案は成立したが、そのことによって日本社会にはそれを補って余りがある地殻変動が始まりました。 そういうことで、あとで、加藤周一さんのこの講演の一部分を鎌倉さんの映画でみてみたいと思います。  

それから、鎌倉さんは10月号(資料6)で2015年7月23日の朝日新聞「声」欄に掲載された86歳の男性の投稿を紹介しています。山口県防府の海軍通信学校で特攻機の突入信号音を何度も傍受したというその男性は学生のデモが始まったという報道にうれしくて涙を流したといっています。「体の芯から燃える熱で、涙が湯になるようだった」と。じつは僕の父も海軍特別少年兵として14歳の幼さで防府の通信学校にいました。投稿した男性は父と同い年だから、彼も少年兵だったのでしょう。    

今日は、もうひとつ、先日の全日本民医連の学術運動交流集会で在宅医療について非常に優れた発表をした訪問看護ステーションの佐々木さんから、そのお話を聞くことにしていますので、ぜひ学んでいただきたいと思います。  

では、今月も短い討議時間の理事会ですが、ぜひ熱心で実のある討議がなされることをお願いして、私の挨拶といたします。

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