これからの民医連医師像について
今の民医連運動の中で医師層こそが最も変容を迫られている立場にある。
この避けられない要請を無視して、他職種や理事会に問題を転嫁しようとする無意識の衝動が医師層にあるので、会議は錯綜して実りのないものになるのである。
求められている変化を体型的に、いや体系的に示すのは難しいので(体型的変化を求められている医師は男女を問わず多いが)、断片的で現象的にしか記述できないが、それは以下のようなものである。
⚪️医師としてのスタイルを変える
ベテラン医師も若手医師も振り返りを大事にし、それを職員と共有する、言ってみればポートフォリオを絶えず作って行くような診療スタイルにすることが望まれる。
⚪️連携のあり方もすっかり変える。
これまでは、難しい患者の送り先である大病院の有力者と顔見知りであろうとしたり、医師会の会合にこまめに出席して除け者にされるのを予防したり、患者を送ってくれた開業医に丁寧な返事を書いたり、ときにはお中元やお歳暮を欠かさないことでよかったかもしれない。
しかし、これからは大病院、開業医、介護事業所の不断のコミュニケーションのハブであろうとする意欲が必要である。すでにハブが存在していれば、その人の私心のない協力者であることに努めなければならない。
患者を関してのカンファレンスや情報交換の質の向上に力量を発揮しなければならない。
「一人の患者を共有すれば一つの共同体を作る」意気込みで、相互批判も臆せずする。無残な大量処方とともに送られてくる患者があれば、きちんと処方を整理して、整理した理由を相手が納得する形でお返しする。
患者の持っている問題を継続して共有することは当然で、自院のケースワーカーを自院のものだけにしないで地域共有のものとして機能させるようにしなければならない。デスカンファレンスの共有は普通のことである。
選ばれる病院になろう、などというエゴイズムは論外である。病院をいちいち選ばなくてはならない不幸を住民に負わせてはいけない。
職員間の関係、対患者との関係も、日常普段の会話が、すなわち医師の立っているその場が常にカンファレンスと教育的交流(自分も教えるし、患者・他職種からも学ぶ)の場になるような開かれた態度を身につけなければならない。
仏教的に言えば常に無心で、外見的に言えばポカンと口を開けている顔つきで現場にいなくてはならない。眉間にシワを寄せて叱声が絶えないリーダー医師像なんて最悪である。
⚪️市民との関係もすっかり変わる。誰とでも水平的な関係がすぐに結べる直接民主主義の活動家であることが望まれる。デモと討論が大好きな医師であることが望まれる。
常に用意された演壇で演説することだけが好き、演説が終われば帰ってしまうというような政治屋的医師はあまり必要がない。
求められるのは「民主主義医者」である(発音してみると、いかにも間が抜けた感じがするのが個人的には気にいっている)。
⚪️そんな医師の変化にはしっかりしたサポートが必要である。
その際、ICTが鍵だろう。
患者ごとに、カルテには表されない情報が常にメールの形で医師に集中され、自分が困っていることを書き込めば、すぐに誰かの助言がメールでくる。
その時々に必要な医療情報が仲間からもたらされるし、自分も発信して行く。
その集積が冒頭に述べたポートフォリオを全員が生涯作成して行くという診療スタイルの物質的基礎になるだろう。
今、在宅医療の医師が作っているクラウド型のサポートリソースをすべての医師、できればすべての職員に保障するのは
今後の法人の義務である。
⚪️患者をどう捉えるかという理念と実践の枠組みの変化としての地域包括ケアを、特に理念的によく理解しておく。
⚪️国連が定めている健康権、その実現のための改良主義的計画としての健康戦略の歴史的変化をしっかり捉えること。
これを知ろうとしないで、いつから民医連はWHOの下請け機関に成り下がったのかなどと言ってはいけない。
健康戦略は、途上国対象のプライマリ・ヘルス・ケア 、先進国対象のヘルス・プロモーションの相次ぐ失敗を経て、ようやく普遍的な「SDHに基づくヘルス・プロモーション」の段階に至った。
しかし、SDH研究は端緒に着いたばかりで、まだ政策に上手に転換出来るという保障はないものである。その不十分さを言い募るのは滑稽である。
ヘルス・プロモーションの一環であるヘルシー・シティのさらにその一部分であるHPHは、古いヘルス・プロモーションに拠って立っているのか、新しい「SDHに基づくヘルス・プロモーション」に拠って立っているのか不明なところがある。古い立場だから広がるのかもしれない。既存の医療団体に受け入れられていることを喜んでばかりいてはいけない、新しいヘルス・プロモーションを自ら創造して行くべきなのである。
その時、「病院中心のまちづくり」という、新自由主義政府の成長戦略に取り込まれてはならない。その戦略の中心に増田寛也元総務大臣や松田晋也先生がいることには注意。いい人だから政治的にも組めると思ってはいけない。
⚪️ 病院中心の町をつくるのではなく、まちの形成に病院が貢献して行くという謙虚さをもって、まちづくりにあたる。
それは態度としても正しいし、社会科学的にも正しい。
いま都市の形成について学ぶべきは、マルクス主義地理学者デヴィッド・ハーヴェイに他ならない。これからはデヴィッド・ハーヴェイを知らない民医連医師がいないというほどに学習すべきである。
デヴィッド・ハーヴェイによれば、都市や人間社会形成の契機は6点あるとされる。その相互の共進化で出来上がる都市や社会の様相が決定される。
地域包括ケアに基づく医療活動はその6契機の一部に過ぎない。しかし、現代日本ではすべての契機を見渡して、医療が最重要な地位を占めているといっていいかもしれない。
⚪️以上の変容と、今後の医師後継者対策、経営改善との直接的な結びつきについて誤ることなく適切に気づくことも求められる。
・・・と、長々と書いてしまったが、すべて、いまの自分を否定して見せただけのことである。
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