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2015年9月26日 (土)

2015.9.26 医療生協理事会挨拶 

8割近い国民が反対している中での9月19日未明の戦争法案強行可決、直後の日本共産党の臨時中央委員会、国民連合政府の提案、25日の民主党―共産党会談と情勢は大きく動いています。

「護憲」や「改憲」という言葉を超えて「立憲」という言葉で民主主義を守ろうとする大きなうねりが日本の社会の中に生まれていることに、私たちは自信を持ちたいと思います。

来年の参議院選挙の山口県自民党候補は江島潔氏です。彼がこの国会でどんなことをしたかもよく覚えておかなければなりません。まったく人権感覚のない人物なのです。
http://健康法.jp/archives/6150

それは当然として、私は今日別の話を二つ用意しました。

皆さんは朝日健二さんという人をご存知でしょうか。

朝日さんは、元は小林健二さんといって山口県美東町、奈良の大仏に銅を出荷した長登(ながのぼり)銅山の近くの出身の、1935年生まれの人です。

彼を有名にしたのは、なんといっても人間裁判・朝日訴訟を、原告・朝日茂さんの養子となって引き継いだことです。
そのあたりの経過を健二さん自身が書いたものを資料にしました。
あとでお読みいただきたいと思います。http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20110214.html

その後は、東京保険医協会の事務局長として活躍していましたが、実は私にとっても恩人なのです。

考えるとそれは1986年のことになると思います。

当時、僕は、1982年に開設したばかりの宇部協立病院と小野田診療所を掛け持ちしていたのですが、小野田診療所の活動は低迷していて、経営もよくありませんでした。

そういうある日、小野田診療所に朝日健二さんというすでに有名な人物が突然尋ねてきました。朝日さんの依頼は、厚狭の渡し場という地区に住むお母さんのところに定期的に往診して世話してほしいということでした。朝日さんの妹さんに連れられて何度か受診してきたことのあるお婆さんでした。

有名な年長者と向かい合って緊張しながら、34歳の若輩者で考えも浅かった僕は「お母さんは見るからにしっかりしていらっしゃるから定期的な往診の必要はないと思います。また私は北九州の救急病院で研修して、今も宇部協立病院で救急医療を専門にしていて、往診には余り意味を見出せない医者です」と言い張りました。

すると朝日さんは静かに「定期的な往診の必要がないという先生の医学的判断は尊重します。また救急医療が専門の先生が往診を無意味と思うのも当然でしょう。それも尊重します。
ただ、母は先生の前ではしっかりしているようにしゃべっても、実は家の中では痴呆が進行していて、一人で出歩くことはとても無理なのです。そして今年から国の制度が変わって、自分ひとりで通院できない患者には月に2回の訪問診療を医療保険が適用されたのです」と言いました。

「そんな制度のことは知りません。本当ですか」
「本当です」

結局、ぐうの音も出なかったので、初めての訪問診療をする約束をさせられました。
そして、地域を見渡してみると、同じような認知症で訪問診療の対象となる人が月に数人づつ見つかるという状況でした。そういう人が埋もれていたのにようやく気づいたのです。まわりに訪問診療をする医者もいなかったので、たちまち、訪問診療する人が20人近くになりました。

すると診療所の医療活動全体が活発になってきて、往診だ、健診だ、胃カメラだとすごく忙しくなり、経営もあっという間に改善しました。

日当点といって、一人の患者さん1日あたりの収入を示す指標がものすごく高くなって県内の医院で3位以内に入ってしまったので、支払い基金から呼び出されて「日当点が高すぎるのは過剰診療しているのではないか」という点検を受けるという目にもあいましたが、制度どおりにやっているので、後に日本医師会の常任理事になる指導官に何も文句を言わせないで終わりました。

患者の要求を傾聴してまっすぐ応えることと、医療制度の変化をよく知って、医療活動に正確に結びつけていくことの大切を朝日健二さんに教わったと思っています。振り返ればあのとき、本当に民医連の医者になったような気がします。

その朝日健二さん自身が、いま東京の西都保健生協の清瀬診療所から訪問診療を受けていると聞いたので、9月18日に、緊迫する国会前には行かないで、清瀬市に朝日さんを尋ねて、お礼を言っておくことにしました。

しかし、そこで驚いたのは、この清瀬診療所においても朝日健二さん自身が自らを対象にして在宅医療をしないかという提案を常勤所長のいないきわめて困難を抱えた診療所にもちかけていたということです。
それをきっかけにして冴えなかった診療所が変わり始めていました。
同じ医療生協内の、隣にある北多摩生協診療所の常勤所長が援助して、やったことのない在宅ケアに足を踏み出したのです。週1回しか来ないパートの先生が訪問診療を始めていました。

実は今回の清瀬行きも、朝日さんがどういう経歴の人なのかを知らない診療所の職員に、僕と朝日さんの会話を通じて朝日さんの人となりや業績を知らせたいということで、隣の診療所の常勤所長が計画してくれたことだったのです。

ベッドの上の朝日さんは少し話しにくそうでしたが、診療所の師長さんが適切に含ませてくれる水に助けられて、たくさん話してくれました。
自分の母のことにしても、自分のことにしても、別に誰かを啓発しようなどというつもりはなくて、ただただ困り抜いていたから民医連ならなんとかしてくれると思って頼んだのだ。それが皆さんを変えたというのならこれほどうれしいことはない。
そして地域包括ケアと介護保険の今後についての考えを僕が質問すると、「憲法25条に沿って大きく発展させる以外にない」としっかり語りました。

朝日さんの話はそれで終わりです。もうひとつ、朝日さんとの会話の最後に出てきた「地域包括ケア」についてすこしだけ話題を提供したいと思います。

この絵は厚生労働省が地域包括ケアシステムとは何かを説明するときよく使う絵です。「植木鉢モデル」とよく言われます。

このモデルの何が一番問題なのかは、システムの出発点を「本人・家族の選択と心構え」としているところです。憲法25条が出発点ではないのです。

要するにこれも憲法違反の制度なのです。

より詳しく言うと「単身・高齢者のみ世帯が主流になる中で、在宅生活を選択することの意味を、本人・家族が理解し、そのための心構えを持つ」として、孤立死・孤独死を制度の前提として受け入れることを求めているものなのです。

孤独死を当たり前の死と覚悟させたうえで自分の経済力に応じて、在宅医療の選択に誘導するという、公費のかからない、サービスの全てが商品化されたシステムが地域包括ケアに他なりません。

水を与えられて医療や介護や予防の葉が育とうとしていますが、それはまさに商品として、成長産業としての医療や介護や予防が大きく育てられようとしていることなのです。住民の幸福に水が与えられているのではないことをしっかり認識することが重要だと思います。

そこで資料は雑誌「月刊保団連」9月号に掲載された巻頭写真「孤独死の場所」です。
孤独死が当たり前の社会ではなく、誰も孤独死しない社会をこそ私たちがめざさなければならないことをこの写真は教えてくれていると思えたので資料に取り上げました。イラク人質事件で拘束されたフォトジャーナリストの郡山総一郎の作品です。

死後4日以上経って発見されるものを孤独死と定義すれば、いま年間3万人という孤独死ですが、年間死亡数が126万人から160万人に増える2025年には、これを10倍以上にして安く死なせなければならないと政府は考えているのだと思います。そのための在宅ケア、地域包括ケアだと言っても過言ではありません。

いよいよ医療生協の拡大月間にはいりますが、その本当のスローガンは「誰も孤独死しない社会を作る」というものではないかということを申し上げたいと思います。

では、今月も短い討議時間の理事会ですが、ぜひ熱心で実のある討議がなされることをお願いして、私の挨拶といたします。

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