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2015年8月 7日 (金)

病院の空いた診察室に居座って

僕にも小さな理事長室が与えられているが、それはいつのまにか雑然とした資料庫に変わってしまった。だらしない性格のためである。理事長室に観葉植物を置いたり、水槽を作って魚に餌をやるようなことは到底できない。

そのため、たいていは病院の空いた診察室に居座って、管理業務をしたり、病棟に出撃したりしている。

そこは現場感満載で、自然に耳に入ってくる職員の会話から、100時間以上の残業が放置されていたり、休日のサービス残業をみずから発見したりする。(そういうときの調査には総務部を活用する。そして、いったん確認されれば管理職の処分につながる以外にないのだが・・・)

また、報告では十分に職場討議をして決定したという事柄が実際には上からの押しつけだと多くの職員が思っていたりすることや、役員の自分では気づいていない行動が十分パワハラになっていることも見つけることがある。これは自分がのりだして交通整理する以外になくなる。

役員室とか事務長室とか師長室とか、何かと後方に城を作って閉じこもろうとしたり業者を呼び入れる人たちが前線に通暁するにはどうしたらよいのだろうか。

過激なようだが、それらの「室」をなくしてしまうのが手っ取り早いかもしれない。

最近亡くなられた田中光春さんは、つねに医事課に机をおいて、専務室をもたなかったということだが本当だろうか。

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