原 民喜とPTSD
僕と同じく広島出身の原 民喜は1951年3月13日中央線の吉祥寺・西荻窪間の線路上に身を横たえて自殺するのだが、その年の初め、雪の降る頃に書いた掌編が残っている。(僕が生まれるのはその翌年だ)
それが「心願の国」〈一九五一年 武蔵野市〉である。
そのなかには現場となった踏み切りも現れ、これを書いたころ彼の心がすでに向こうの人になっていたことがわかる。
だが、今朝これを読み返してみると、次のような箇所に改めて気づいた。
「それとも、あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になって僕に飛びかかってくるのだろうか。僕にはよくわからない。 僕は広島の惨劇のなかでは、精神に何の異状もなかったと思う。だが、あの時の衝撃が、僕や僕と同じ被害者たちを、いつかは発狂さそうと、つねにどこかから覗(*都合により字を変更)っているのであろうか」
東京での自殺だったが、彼もまた少し遅い原爆死だったことがわかる。
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