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2015年8月30日 (日)

憲法の形式論的次元と実質論的次元

しばらく前に使われていた「戦争立法」という言葉に違和感を感じていたのだが、今ならよく分かる。

憲法が戦争を禁じている以上、その下位にあるはずの立法、すなわち議会が戦争するための法律は作れないということを簡潔に言ったものだった。ありえないものとしての「戦争立法」という意味があったのである。

だから、それは具体的な法案を「戦争法案」と名付けて批判するより別の意味合いがあった。

なぜ「戦争立法」と言い続けなかったかには微妙な心理的な理由と、より本質的な理由があったように思える。

一つは96条改憲論議以降、今起こっていることはなにか、という問題意識に関係する。
誰が憲法を変えられるかということが問われている、とする問題意識である。
あるいは、憲法を変える範囲に制限があるのかどうかということが問われているという問題意識である。

端的に言うと、主権者を国民から何か別物、例えば、天皇、あるいは首相、あるいはそれらプラス国民へ変えられるのか、ということである。

憲法を変えられる主権者は今の国民なのか、それともかって憲法を制定した当時のまだ十分に投票の権利も与えられていなかった国民や、憲法を制定した後それを支持してそのもとに長く暮らして来た国民の総体的集積なのか。

私たちは最後の立場をとって、憲法改定条項をもってしても国民主権、さらに主権者の生存の前提である平和主義と基本的人権は変えることができないとして来たのである。立憲主義とは、そういう硬い構造の憲法を認めることを言うのだ。それを変える方法があるとすれば、憲法や主権者の爆破以外にない。文字通りの革命である。

だが、これには反論もありえる。
人民主権は社会契約だとするルソーの立場からは、過去の国民が今の国民を縛ることはできない、本来ならば毎日国民投票をした上で、その憲法の元に暮らして行くべきだということになるだろう。

実は安倍首相が提起しているのはその問題で、今の有権者の意志によって主権のありかやあり様を変えよう、単純に国民ではなく国民から選ばれた首相に変えようと彼は言っているわけである。
憲法を容易に変えさせない国会の2/3という代議制(間接的民主主義)の壁が、小選挙区制という手段で簡単に壊されたことが、この問題提起を可能にした。

安倍首相が自らをルソーになぞらえているということはありえないとしても、私たちとしてはそれを意識せざるをえない。あの愚物にしか見えない首相が憲法論の根本に触れる問題提起をしていることになり、
その嫌な感じが、「戦争立法」という言葉を長くは使わせなかったのだろう。

もちろん、いま怒っているひとたちの最低共通ラインは、きちんと憲法改正をしないまま、いわば裏口入学(小林節)して、憲法改正後でなくてはできない立法行為をしていることにある。
ここでは、安倍首相側はその前のそれなりに議論が成り立つ問題提起から大きく外れて、実に初歩的で姑息な誤りをおかしながら強行しようとしているわけである。これこそ「戦争立法」だからだめだということであり、「立憲主義を守れ」というのは怒るひとたちの合言葉である。

この「立憲主義」は「弱い立憲主義」である。立法は憲法の枠内にと言っているだけで、憲法には変えられない骨格があると主張する「強い立憲主義」ではない。しかし、それだけにこの理屈は強い。
「屁理屈言うな」と若い人たちが叫んでいるのは、この理屈の圧倒的強さを示している。

ただし、それは言ってみれば憲法に関する形式論の次元の話である。

それも重要だが、もう一つ先に本当の問題意識がある。それには「戦争立法」という表現を超えるところがある。
憲法がどの方向に変えられようとしているかを問うより本質的な問題意識である。
言ってみれば実質論の次元の問題意識。

ここでは、国民主権、平和主義、基本的人権の歴史的、人間関係的な問題が問われている。そういうものなしに自分たちは生きていけるのかという、真実の意味で文学的な問題である。

これだけ多くの人が、どんな組織的強制もなく、危機感を感じて人々がデモや集会に出かけるのもその問題意識のためである。

この次元ではルソーは私たちの立場にいる。安倍首相の側には絶対いない。

まとめてみれば、形式論でのルソー、実質論での反ルソーが安倍首相だということもできるだろう。

考えれば、全てのファシストがそうだったのである。
現時点での有権者を主権者と仕立てることによって立憲主義を爆破して、自らが主権を奪取するのが、彼らのやり方である。

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