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2015年8月20日 (木)

明日の挨拶

今日は予定の出張をやめたので、外来の担当もなく、一日かけて病棟のお世話をすることができた。

こんなことは何十年ぶりかである。きちんと病棟の単位があるということがどんなに気を楽にしてくれることか分かる。そういう単位を恒常的に保障されている人は幸せである。

それでも仕事の早い僕としては、少し手が空いたので、明後日集会での挨拶の原稿も書いてみた。

できれば、これを上手に読み上げるアプリがほしいところである。どんなに丁寧に原稿を書いても、発声が悪くて、ほとんど理解されないことが大半なのだ。

それをすこしでも補うために、人の迷惑も顧みず、ここにアップしておくことにする。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こんにちは。全日本民医連副会長の野田と申します。厳しい残暑の中、全国からの参加ご苦労様です。

○41期も残すところあと半年となりました。戦争法案の廃案実現に全力を挙げると同時に、42期に向けて、より長期的に民医連運動の展望をしっかり見つめなおして行くことが重要になっています。

○詳しい議論はこれから行うわけですが、たとえば各県で地域医療構想策定が進んでいることにも注目しなければなりません。国会で審議中の医療法改正案(8月18日現在衆院可決、参院審議待ち)に盛り込まれている「地域医療連携推進法人」制度が施行されてしまうと、民医連も巨大病院中心の地域医療推進法人の傘下に吸収されろという圧力が強まることも考えられます。

政府のいう地域包括ケア政策のなかで、垂直統合、水平統合、規範的統合とやたら「統合」という言葉が叫ばれて、管理と支配を強める日米の大資本と国家の力に翻弄されないためには、人権に根ざした姿勢で住民と共に地域の医療・介護政策を自ら作りあげる私たちの政策能力が必要です。

私も手始めに、地元の国立大学の学長 ―医学部出身なのですが― と懇談しましたが、こうした立場の人たちと、私たちの間には地域の生活に寄せる思いに相当距離があると痛感しました。

くじけず今後も幅広い人々の懇談を不断に続けてなければと思う次第です。

○しかし同時に、民医連の地力自体も相当脆弱になっているのではないか、と言うことが心配です。こちらも本気で立て直さないとごく近い未来が本当に危ないと思います。

直接にそれにつながる話かどうかはわからないのですが、少しお話ししてみようかと思うことがあります。

このお盆に私が病棟で仕事をしていると、大学入学のときから同い年の同級生で、今は私の病院の主力になっている医師から「悪いけど診察してくれないか」という電話がかかってきました。

その1時間後には救急車で彼を大学病院に搬送していたのですが、救急車に一緒に乗っていると、彼が私たちの病院に来たときのことをどうしても思い出さないではいられませんでした。

彼は宇部協立病院に来る前は大学の麻酔科の助教授を長く勤めていて、ICUの主任もしていたのですが、ICUで金に糸目をつけないほど医療資源をつぎ込んで救命し、その後どうにか地域の病院に移すことのできた患者が、さらに数年後に地域でどうしているかを追跡するという研究をしました。

すると、生存していたのはごく少数でしたが、生存している人の全部が宇部協立病院に移した患者であり、その中の一人は自宅復帰までしていたことを彼は発見しました。

そこでついには大学を退職して6ヶ月間宇部協立病院で研修することを希望したというのが、あまりに変わった話だと思います。

そのとき私が院長をしていて、きわめて安い給料の特別研修医という名目で雇ったのですが、その6ヶ月のうちに、それからさきずっと宇部協立病院で在宅医療を中心に仕事をすると決めてくれました。そこで突然研修医から副院長に4階級特進させ、その後は手術の麻酔もしながら、在宅緩和ケアの分野を専門にして、今ではその分野で山口県の指導者になるに至りました。

なお大学1年のときは、彼と私とは全然政治的意見が違い、教室の中で私はたった一人で彼の仲間に囲まれて殴られるという目にも遭っているのですが、彼はそこにはいなかったと言っています。

そうして数えれば15年も私がもっとも信頼する医師として活躍してくれたのですが、今年の夏、ついに一緒に救急車に乗る事態になったわけです。

もちろん、私の診断と初療がきわめて的確であったので(?)、もう少しすれば生きて帰ってもとのように仕事をしてくれるのは間違いがないのですが、問題は二人ともしっかり後継者を作ってこなかったので、こういう事態になるとたちまち病院の診療そのものがうまくいかなくなることがはっきりしたことです。

当面は30人くらいの入院患者の主治医を私が引き受ければ済んでしまうのですが、ともかくお互い高齢医師と呼ばれる範疇に入るようになり、そういう二人によって支えられている病院がどんなに不安定なものか身にしみて分かりました。

60歳代の医師に支えられている民医連の中小病院は、決して私のところだけではなく、全体としてはむしろ多数派かと思います。

特に経営幹部の皆さんに言いたいのですが、彼らがまだ働けるから当分は大丈夫だというのは幻想か妄想です。この脆弱性を大急ぎで解決しないことには、どんな政策能力も無意味だということになると思います。

もちろんこんなことは評議員会方針案には書かれていないことですが、裏のメインテーマとしてぜひ考えていただきたいと思います。

○私の言いたいことは、実はそれだけなのですが、これで終わると、そういう挨拶があってよいのかという声が挙がると思いますので、情勢に関連して、ぜひ読んでいただきたい雑誌と書籍を紹介して冒頭挨拶の任を果たしたいと思います。

○雑誌「世界」9月号で早稲田大学の最上敏樹さんが「国際法は錦の御旗ではない」と題して以下のようなことを言っています。

― 2001年に国連の国際法委員会は、加盟国が勝手に行使する「自衛」そのものが「権利」ではなく、本来は違法な武力行使として禁止されるべきものだが、現状ではやむなくその違法性を黙認しているものだという規定を行なった。

世界の潮流として、個別の自衛権さえしだいに権利ではなく、基本的に違法だとされるなかで、集団的な自衛権が今後広く認められていくはずはないのである。 ―

個別の国家の自衛権さえ実は違法で禁止されるべきものだということがある意味衝撃的です。よく考えると、日本国憲法9条2項こそが、国連がとっている真の立場だ、ということなり、そのことに私たちは深い確信を持つべきだといわれている気がします。

○次は雑誌「季論21」2015夏号 に渡辺 治さんが以下のようなことを書いています。

― 戦争法案に反対する立場は二つある。一つは安保条約反対、自衛隊違憲、新自由主義経済路線反対を統一して追求するという立場。これは私たちです。 もう一つは、自民党のなかに戦後受け継がれてきた「軍事小国主義」を守り、自衛隊の海外武力行使、1960年安保からの逸脱を許さないという立場― 柳沢協二さんや翁長沖縄県知事もこの立場である。

今日、重要なのはこれら二つの立場が相互の違いを認識しながらも合流して、まずは何よりも軍事大国化という安倍政権の妄執を粉砕することである。

○しかし、これにあわせて、あるいはこれを超えて、最近の青年層の運動の高揚の背景を考えることが必要だと私は思います。

それにふさわしい書籍としてデヴィッド・グレーバー著、木下ちがや他訳 『デモクラシー・プロジェクト(―オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力)』(航思社、2015年)というのがあります。 訳した木下ちがやさんは、渡辺 治さんの弟子に当たる優秀な社会学研究者です。40歳過ぎていますが、まだ立川相互病院で夜間当直のバイトをしているそうです。 

それはともかく、アメリカのウォール街占拠(OWS)運動、ギリシャの「シリザ」政権成立、スペインの左翼政党「ポデモス」の進出などと関連して、日本のシールズなど青年の活動を理解するのに最適だと思います。お勧めします。

では、実質1日の短い討議期間ですが、ぜひ熱心で未のある討議がなされることをお願いして、私の開会の挨拶といたします。

ご清聴ありがとうございました。

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