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2015年8月10日 (月)

カズオ・イシグロ「わたしたちが孤児だったころ」ハヤカワepi文庫2006年〈初出2001〉

「日の名残り」1989、「わたしを離さないで」1995、「忘れられた巨人」2015、「遠い山なみの光」1982についで読んだイシグロの小説。

だいたい彼の小説の特徴が見えてきた感じ。もう、1,2冊は読んでみるだろう。

最初と最後は物語に整合性があってわくわくするような感じがあるのだが、途中で読者は混乱のきわみに落とされてしまう。

物語の時空がゆがみ、断片化し、飛躍し、支離滅裂になるからだ。「遠い山なみの光」でも同じ感じがあった。

こういう小説をどこかで読んだことがあると思ったら、池澤夏樹編集の世界文学全集で読んだカフカ「アメリカ」だった。

カフカにとってのアメリカの大都市が、イシグロの上海なのである。

作者の空想に付き合うことにどれほどの意味があるのかと思いながら読み進めるしかないのだが、考えてみると、私たちの日常の意識の流れこそ、時空がゆがみ、断片化し、飛躍し、支離滅裂なものではないか。

ある人との会話や出会いで、それまでは忘れていた、したがって読者には示されることのなかった意味が突然よみがえり、記憶や、世界の解釈や、人生の目的がそのつど変動する。
物事の間の因果関係が過不足なく説明され、伏線は必ず後に回収されるような日常はない。

心の平安は誰にも許されていない、というのがこの小説の結論だろうか。

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