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2015年7月 7日 (火)

デヴィッド・グレーバー「デモクラシー・プロジェクト」航思社2015

木下ちがやさんが訳しているデヴィッド・グレーバー「デモクラシー・プロジェクト」航思社2015年をようやく読み始めた。

ウォールストリート占拠運動OWSの内部にいた、僕より9歳若い人自身が書いたドキュメントだが、運動の水平性を大事にしながらの討論や意思決定の工夫の試行錯誤的な積み重ねがとても面白い。

アメリカにも指導部からの指令を隅々まで行きわたらせるほうが民主的な討論より大事だと考える垂直型の運動組織はたくさん残っていて、その潮流と闘いながら運動が作られていったのである。

ただNYに行ったことがないので、地名がまとう言外の意味がわからず、この本の面白さを十分満喫できないという気はした。
ブルックリンとマンハッタンの関係、さらにはブルックリンとブロンクスの違いも地図を見るまで分からない。

このまえ、ウッディ・アレンの出演する「ジゴロ・イン・ニューヨーク」を見たが、ハシディズム流のユダヤ教徒といえば住んでいる地名が自然に特定されるようで、それを前提に物語が進むから、話が少しわかりにくかったりする。

寅さん映画でも、柴又の東京における地理学的な意味がわからないと、セリフのニュアンスが汲み取れないのと同じであるが。・・・にわか地理学者の感想である。

○どうも革命を始めるには次のような親友コンビが必要らしい。

金持ちの家に生まれながら自分の親の価値観を拒否した青年Aと、エリート教育を必死で身に着けながら結局エリートにはなれないと思い知った青年Bの親友コンビ。

ちょっと思い出して例に挙げられるのがカストロとゲバラ、周恩来と毛沢東だというが本当だろうか。

日本の映画でも「戦争と人間」(山本薩男)にはそんな二人がいた気がする。北大路欣也と山本圭が扮していた。

それはともかくとして、ふつうの勤労者家庭出身で必死に大学院を卒業して非常勤講師ができる学力を身につけながら、奨学金ローンで生活が破綻し売春するしかないという人たちはアメリカには多いらしい。その人たちを買うのは教養あるエリートで、大きく言えば奨学金の貸し手側である。

また、比較的貧しい若者が就職先がないため商品としての大学院教育を売りつけられやすく、その結果容易に破産してしまうという傾向も顕著らしい。

そうしたことの原因は、資本主義が生産することを軽視し金融を主たる利潤源にしたことである。

生産しているように見えても、車の通らない高速道路、飛行機の来ない空港、船の来ない港、住む人・働く人のいない巨大ビルを作っても生産したとは言わないだろう。それらは単に貧しい地域の税金からの略奪を条件に金融資本を回転させる容器に過ぎない。

アメリカの製造業で残っているのは、兵器、医療機器、農業機械くらいしかない。

こうした中で苦しむ若い人のなかから革命を始める人は生まれてくるだろう。

日本でも、いま急に学生独自の活動が浮上してきているのは、格別注目される現象である。

 

情勢も緊迫して、集会が増えてきた。

しかし、黙って人の話を聞き続け、拍手するだけの受身の参加が辛いときもある。

そこで話しの邪魔をせず、手信号を送ることで、集会に少しでも積極的に参加することにしてはどうだろう。

親指を立てて「賛成」、下げて「反対」、横にして「理解しにくいから詳しく話して」

人差し指を立てて「話が長い、まとめてね」
(まとめてくれといわれましても、なんて返されると困るが)

僕が話す場合、参加者がみな親指を下げていそうで、自分で自分の首を締める提案だったかも。

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