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2015年6月 7日 (日)

母の死の受容

今日は、参加中の集会で群馬大学医学部の服部健司先生作の「ドラマで考える医療倫理」の使い方を実習した。

ドラマが8本ある中で、#4 の場合によっては医師を窮地に追い込むかもしれない病理解剖の結果を遺族に知らせるか知らせないかというもの、#6 の再度の気管内挿管と人工呼吸を拒否すると宣言してきた母の、呼吸器疾患再増悪に当たって決断しきれない家族というものを選んでみた。
初めて見るという人もいれば、何度も見たという人もいたが、僕としては一緒に見るメンバーが変わるその都度新しい見方を発見して面白い。

運営では保坂先生や和田先生には大変お世話になった。

ところで、#4 も # 6も遺族である娘の母の死の受容の物語に思えたのは、昨夜の僕の夢のせいである。
遠く離れた故郷で86歳の父が87歳の母を介護していて、久しぶりに帰ると、母の背中には大きな褥瘡ができている。
「お母さん、痩せたね」と言いながら、僕は介護のために故郷に帰る決意をする。実行するとなると相当の生活の変化があるなと考えながら闇の中で目を覚まし、母はもう15年前72歳で急死している現実に還ってきた。

なんだかぼんやりした不安が大きくなった今回の出張だった。

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