マイケル・ウォルツアー
昨日の深夜=今朝の未明、来月の集会用の問題提起案約2万字を粗く作り終えて担当者に送信した。
こうしたものはどう精密に描いたところで状況依存的で暫定的なものでしかないし、それが役員の会議でどう批判されても結果はそれによって拙いところが補われ改善されるだけだという達観を持つと、今朝は早起きの影響も加わって、なんとなく自由な気分である。
読みかけの本の優先順位を付け直して再出発と言う気分。
そのさい著者から送ってもらったり、直接手渡されたものから始めるのが義理堅い態度と言うべきだろう。
ロールズ「正義論」の訳者である川本隆史さんから送ってもらったマイケル・ウォルツアー「解釈としての社会批判」はずっとてこずっているものだ。
そもそもウォルツアーがどんな人か見当がつかない。アメリカではロールズと並ぶ政治倫理学者であるらしい。
そして、訳者による丁寧な解題(二つもある)やあとがきを読んでも本文にすっと入っていけない。
第二章になってようやく手がかりが得られる。
本当の社会批判者は、自分が発見したり発明したりした「普遍的」な真理を社会の外部から社会の内部に持ち込むものではなく、社会の内部にいて、社会の既存の規範を解釈で練り上げ現実社会がいかにそれを踏みにじっているかを明らかにするものだという。典型的人物としてガンジーを挙げ、マルクスやレーニンがどうであったかを論じる。こうであれば面白くないわけがない。
さて、問題はマイケル・ウォルツアーが、デヴィッド・ハーヴェイ「コスモポリタニズム」の206ページで大きく取り上げられていることである。
ハーヴェイによれば、ウォルツアーはユートピア的コミュニタリアン(共同体主義者)に過ぎない。.
正確な地理的・人類学的過程をすっ飛ばして特殊な共同体毎の正義の存在を主張しているだけで、それでは新自由主義の個人所有と自己責任という彼らなりの普遍性の強制、それによるグローバルな政治経済的不平等を打ち破れないと言う。
ただし、世界連邦共和国を主張するカントの「地理学」が偏見に満ちた超駄作であったように、正確な地理学的・人類学的知識に裏付けられながら、新自由主義と対抗する普遍的な正義を主張する人(コスモポリタン)、つまり think globally, act locallyを実践しえた人はまだ人類史上に出現していないようなのだが。
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