医療介護倫理交流集会 挨拶
医療介護倫理交流集会の開会挨拶の役割が与えられたので、はやばや挨拶を書いた。
早く書いてしまわないと書きたいことを忘れるのではないかという不安に駆られてである。
滑舌の悪さでは右翼側の横綱である安倍君に匹敵する私なので、例によって、無粋を覚悟でここにアップして、聞いてくださる人たちの不快をすこしでも軽減したい。
なおここで「臨床倫理」と言っているのは医療倫理、病院倫理を超えた、さまざまな対患者シーンでの倫理という意味である。臨床心理や、臨床哲学と言う言葉もあって、「臨床」というのは現場ということを意味しつつあるので、わるくないのではないかと考えている。
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こんにちは。全日本民医連副会長で、医療部の副部長を務めている野田と申します。
全国各地から、多数のご参加ありがとうございます。
開会に当って全日本民医連を代表してご挨拶申し上げます。
今日、民医連にとって、戦争法案廃案、憲法9条破壊阻止、沖縄辺野古の新基地建設阻止という、日本の未来を決する運動課題と同時並行して進めるべき最大の実践的課題はいうまでもなく「地域包括ケア」です。
厚生労働省の「地域包括ケアシステムの姿」と名づけられたこの図は、皆さん見飽きるほど見たと思いますが、ケアの中心を病院・医療から住まい・生活に拡大する「視点の移動」・「視野の拡大」は、従来から、「生活と労働から疾病を捉える」ということを主張してきた私たちの姿勢が発展したものといえます。
むしろ、ここには、障碍児の教育も、障害者の労働も、ケアする家族の労働の視点も欠けているということを指摘しておかなければなりません。
いずれにしても、地域包括ケアの時代は地域の生活全般を対象とした実践活動の時代なので、複雑で解決困難な意思決定が連続する時代となります。
これはすなわち、多職種協働と臨床倫理活動が決定的に重要となる時代だということを意味しています。
地域包括ケア時代は医療倫理委員会の時代といえるかもしれません。これは20世紀の病院医療中心の時代が医療安全委員会の時代だったことと対照的なことです。
ここで、大事なことは政府側の唱える地域包括ケアシステムが新自由主義的な自己責任を原理にしていることです。それではその上に載る構造をいくら精密にえがいてみせても、それら全てが営利の道具になってしまうということです。高額なサービス付高齢者住宅による居宅の充実、クロネコヤマトとコンビニ大手の結託による生活支援から始まって、最後にはホールディング型カンパニー式の病院の統合とそこで行われる混合診療までその路線が貫かれることがすでに計画されています。
これに対して私たちの考える地域包括ケアは、健康権という根を社会の中に深くおろした大木のようなものです。
この大木が、労働運動、環境運動、教育運動、自治体改善運動という別の大木と結びついて森を作ることは私たちのいう「まちづくり」に他なりません。
こうして、今は二つの地域包括ケア構想が、上からと下からと衝突する時代だということができます。
そこでは、私たちの健康権に根ざした臨床倫理を考える力が、地域ケア会議その他の地域のネットワークを本当に住民の役に立つものにしていくかどうかを決める鍵となってきます。
これは、いま全日本民医連の熱い議論のもうひとつの中心である医師養成にも深く関係します。臨床倫理に根ざした地域包括ケアの担い手となることは、これからの民医連医師に求められる総合性の核だからです。
ながながと話してしまいました。堀口先生の問題提起の邪魔をしたのではないかということが気がかりです。
医療介護における倫理と、地域包括ケアを密接に結びつけた本集会が、全日本民医連運動の中で記念すべきエポックとなることを期待して、私の挨拶といたします。
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