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2015年6月 9日 (火)

千歳と那覇

千歳空港とか那覇空港に行くと必ず何か気後れを自分の中に感じる。

地元の小さな空港や、羽田の大きいがもうどこか薄汚れてきた空港にいるような安心感がない。

6/8の朝日新聞の2面で取り上げられていた、沖縄の観光客数の推移のグラフをみると、それがなぜか納得できた。

...

1972年に年間44万人だった沖縄の観光客はいまや800万人に達しようとしている。(僕が初めて沖縄に行ったのは1977年だったが、その頃は100万人である)

千歳も那覇もひたすら過剰な爆発的消費のためだけに作られた空港だということが明らかで、それが僕の気後れの理由になっている。

しかし、こうした環境や文化や伝統の商品化としての観光は、地元住民からの種々の略奪の結果としてしか成り立つものではない。
それは橋下が沖縄の風俗産業を米軍がもっと利用するよう勧奨したことに象徴的である。ススキノだってそうだろう。

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