雑誌「世界」2015年7月号 対談「ソーシャルワークとは何か」末永睦子×藤田孝典
雑誌「世界」2015年7月号
スペインの「ポデモス」党首パブロ・イグレシアスへのインタビュー記事に真っ先に注目したのは僕だけではなかったようで、6月24日の朝日新聞の論壇時評を見ると高橋源一郎はこの記事を読んでスペイン語を勉強し始めたようだ。
ただ、その記事より、もっと自分にとって切実なことをあつかっていたのは対談「ソーシャルワークとは何か」末永睦子×藤田孝典のほうだった。
末永さんは医療生協の病院の勤務経験があるケアマネジャーで、都内の社会福祉士養成機関の教員もしている人のようだ。臨床倫理の研究もしている。
そこで話し合われていることを再構成すれば以下のようなことである。
生活保護基準を下回る貧困な年金給付しか受けていない高齢者が多く、その人たちは介護保険の認定を受けても利用料の一割が負担できないため、要支援1で月額5万円から要介護5で月額36万円までに制限されている低レベルの支給限度額さえ使い切ることはできず、残念ながら費用負担可能な範囲でケアプランを作成せざるをえない。
自分が所属している事業所を中心とした狭い範囲の既存のメニューを当事者の経済力に合わせて当てはめていくだけのロボットでもできるような仕事であり、当事者が本当に必要としていることは何かを考える余裕はケアマネジャーには与えられていない。
給付抑制という基本的な流れの中で障害者、高齢者という縦割りの枠組みでしか動けないのである。
介護保険に限らず社会保障制度は憲法で保障された健康で文化的な生活を営む権利を具体化するものであり、それを実施する義務は国や自治体にある。逆に言えば総合的にそれを取り組まない国や自治体は存在する意味がない。
しかし、実際は平成の大合併などで自治体と公務員の距離も遠くなり、福祉事務所も外注され、民間のサービス契約に行政は介入しないというのが当たり前になってしまっている。
困っている人が生み出されている現場を見極めて援助しながら、そうした状況が再生産されない社会を作ろうとすることをソーシャルワークというなら、ソーシャルワークの現状は壊滅的になっており、わずかにソーシャルワークの実態を担っているのは弁護士、労働組合、地方議員にすぎない。
介護保険について言えば、そもそも社会保険という制度設計でよかったのかどうかを問い直す必要があり、仮に介護保険を継続するというのであれば、非課税の人から保険料や利用料を徴収することがない程度にはすぐ改善しないといけない。
今後の展望は、介護保険の下でも行政にものを言うボランティアとして現れた市民が、運動へのボランタリーな参加を発展させて、介護や社会保障を良くする住民運動を起こすことだ。
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