サポルスキー「サルなりに思い出す事など」みすず書房2014年
当直の夜、12時過ぎてからは外来患者が少なくなったので、サポルスキー「サルなりに思い出す事など」みすず書房2014年を読み終えた。
子どもの頃大きくなったらマウンテンゴリラになりたいと思っていたサポルスキーが、ポーランドからアメリカに移民して来たトロツキー派のユダヤ人左翼一家の出身だということもわかる。
ケニアのヒヒの群れに密着した彼の研究が、ヒヒの個体の健康は群れの中の地位によって、あるいは群れから得る社会的支援の程度によって決定されるというものであった背景もそれに無関係ではない。
自分の研究歴をヒヒの成長になぞらえた構成の飄々とした楽しげな自伝だが、マウンテンゴリラの悲劇的な研究で有名なダイアン・フォッシーの活動場所だったルワンダの高地を尋ねる第17章は悲しくて印象的だ。
フォッシーが、おそらく事故で死んだゴリラを近隣の部族のゴリラ狩りによって死んだと誤解して、その部族に対し過激な報復を実行したことが本物のゴリラ狩りを誘発してしまったことを思い出しながら、サポルスキーはフォッシーの住んだ丸木小屋の前に立つ。愚かで人間嫌いで自滅的な、しかし無限に純粋な研究者に寄せる複雑な気持ちが「心の故郷に帰ってみるとそこには幽霊しかいなかった」と表現されている(300ページ)。
最終章は、ケニアの自然公園がケニアの資本家によって次第に観光資源化することによって、ホテルのゴミ捨て場の残飯を食べて暮らすヒヒが増え、その中に牛型結核菌による腸結核が流行し始める話である。
研究室で飼う霊長類に結核感染が生じると免疫のない彼等はほぼ全滅に至るが、野生のものにはもしかして免疫があり、この感染は自然に止まるのではないかという仮説を立ててサポルスキーは観察を始めるが、それでも多くの親しいヒヒが発病の徴候を見せれば自らの手で殺して、自然公園のヒヒの全滅を予防しなければならなくなる。
生き残った老いたヒヒとサポルスキー夫妻3人が並んでクッキーを分け合って食べる結末は映画のラストシーンを思わせる静謐さに満ちている。
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