いま都市の存在こそが階級闘争だ
いま都市の存在こそが階級闘争だ。都市改造を使って、資本はプロレタリアートに戦争を仕掛けている。その攻撃を跳ね返し、逆に彼らを追い詰めるのも都市の再建設である。
これを私たちは「まちづくり」と言っている。なんという、内実と語感の解離だろう。
生産関係の現象する場所として工場しか思い浮かばないなら、時代がわかっていない。
... 都市全体が一体のものとして、都市生活を生産し、消費し、再生産している。
これこそがマルクスの言った生産の現代的姿なのである。
そのなかでは工場の組織された労働者からの労働力の等価交換に基づいた搾取をはるかに超える略奪が日常となっている。都市貧民の数は膨れ上がるばかりだ。
このことは、今、大阪で何が行われようとしているかを考えれば、だれでも直感的に理解できる。
住民が依拠する自治体を破壊して住民を追い出し、カジノを作り、高層マンション・オフィスビルを建設し、高速道路を通し、新交通システムを走らせる。
そうして地価を高騰させ、株価をつり上げることから大変なあぶく銭を富裕層が獲得して行く。その過程全体が、社会や国家を相手にした詐欺である。典型は2007年のリーマンショックだが、それは何度でも繰り返されるだろう。
もし大阪都ができたなら、その破綻は約束されているし、そのつけは、国民全体が払わされるのである。それは貧困層をこそターゲットとする。
これは搾取などという言葉では言い表せない。暴力的略奪としかいえないものである。
建設労働者、運送・タクシー労働者、サービス産業の従業員、医療・福祉・教育・保育労働者、家内労働者、清掃員、失業者など、これまで組織された工場労働者からみれば後方にいると思われていたプロレタリアートこそが組織され、主力として闘い、自らの生活基盤である都市を再建設しなければならない。
もし、その組織が成功すれば、1871パリコミューンのような都市権力の奪取、2003年ボリビアで社会主義志向勢力が政権を奪取するのろしとなったエルアルトの都市反乱のようなことはたやすくできる。
たとえば、本当にそんなことをするかどうかは別だが、富裕層への物流をとめ、彼らが残飯を食べるしかない状態にしてしまうことは簡単だろう。
もちろん問題は、その後の本格的暴力的報復をどう国民的に阻止できるかにあるので、道はばら色ではない。だが、その道しかないのもはっきりしている
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