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2015年5月29日 (金)

カント的東アジア諸国民

詳しくは知らないが、カントは普遍的な原則から特殊な出来事を理解することを「判断力」と呼び、特殊な出来事から普遍的な原則の存在を感じ取ることを「機智」と呼んで、両者がそろわなければ人間の進歩はないと考えたらしい。

そして判断力の代表が倫理学・政治哲学であり、機智の代表が地理学・人類学だとして、それぞれ本を書いた。

倫理学・政治哲学はいまでもロールズやウォルツアーやセンという立派な学者によって継承されている。
いっぽう、地理学といえば最低のもので『ホッテントットは体が臭い、ジャワ人は盗癖がある、ビルマ人の女性はみだらだ』などという無責任な噂話を連ねたようなものに終わっている。
彼の世界平和構想が無残なものに終わったのもそういうアンバランスが大きく作用している。

なぜ、200年以上も前の学者について言及するかというと、21世紀の平和にそれが関係しているからである。

一般的アメリカ国民の他国の人々への無知・無関心は有名でおそらく真実だ。そのため、彼らはアメリカ政府が自分を普遍的な正義の担い手、世界の警察官として描き出すことに簡単に賛成してしまう。
普遍的な正義や善への信頼という倫理的には好ましい姿勢と、世界の実際への無知のアンバランスがカント的だということである。したがって彼らには平和を作り出す力が湧いてこない。

ところが、これはアメリカだけのことではない。日本、韓国、中国という東アジアの国民たちにも似たような傾向が強まっている。

彼らはお互いをステレオタイプな国民像で描き出す。好色で狡猾な日本人、すぐに頭に血が上る韓国人、金もうけのためには恥知らずな中国人。まさにカントの地理学的世界である。

そうした曇った目が、中国や日本の政府の好戦性を許容する素地になってしまう。

だから、いま、本当に必要なのは正しい地理学・人類学なのだが、その構築が決定的に遅れているというのがデヴィッド・ハーヴェイの課題であり嘆きとなっているのである。

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