« 映画「愛を複製する女」、漫画 吉田秋生「海街diary」 | トップページ | 古川壽亮・神庭重信「精神科診察診断学 エビデンスからナラティブへ」医学書院2003年の裏表紙に僕の古い書き込みを発見する話 »

2015年5月26日 (火)

共感の言葉について

吉田秋生「海街diary」小学館2007年を読みながら改めて感じたのだが、家族ではない他人としての共感や感謝の言葉は、磨きぬかれた伝統的な言葉で表現されるほうが良いということである。

とくにお悔やみなどはもごもごとあいまいに伝えるのでなく、きちんとその地域で正式に使われる言い回しで表明されるべきである。

ここで僕が思い出すのは、今ではもうすっかり忘れられてしまった作家高橋和巳のエッセイのなかに、彼の京大の教員時代、父の死で休暇を取ることを教授の吉川幸次郎に報告すると、吉川幸次郎が急に席から立ち上がって、あるべき立ち位置で丁寧なお悔やみを述べたという思い出が書かれていたことである。

この漫画でも、別れて暮らしていた父が癌で死亡した葬式で、次女や三女は現在の父の妻にいうお悔やみの言葉を知らなかったが、看護師の長女が折り目正しい言葉を使って、恨みも含む複雑な関係にある人の悲しみや介護の苦労をねぎらい感謝すると、相手は号泣してしまったのである。(そのとき長女は、この最初から泣き続けている妻が器の小さい弱い性格であるため、怖がってちゃんとした看取りができなかったことも見抜いている。しかし、同じ言葉を、父の死を正面から受け止めて実際の看取りをした異母妹にもかけると、この妹はその時初めて泣く)

多くの映画の泣かせる場面はこういう手法を使っている。山田太一の原作の映画化「異邦人たちとの夏」でも、息子の風間杜夫が、不思議な一夏を一緒に過ごした父の片岡鶴太郎、母の秋吉久美子の幽霊が消えていくのに対して、きちんと正座して、12歳まで育ててくれたことのお礼を短くない社会人生活の中で鍛えられた大人としての言葉で言う。僕もこの映画で一番好きなのはこのシーンである。

ただし、この感慨にはまずいところもある。そのような言葉遣いができるかどうかは、そのひとの社会経済状態 social economical status SESに相当依存する。だから、上記のようなことの強調は、SESが低くてそうした振る舞いを身に着けられなかった人の社会的立場をなおさら低くしてしまうような効果を持つだろう。

ともあれ、病院の職員には、自分の真情を地域の伝統の言葉に乗せて表現するというトレーニングはしたほうがよい。

|

« 映画「愛を複製する女」、漫画 吉田秋生「海街diary」 | トップページ | 古川壽亮・神庭重信「精神科診察診断学 エビデンスからナラティブへ」医学書院2003年の裏表紙に僕の古い書き込みを発見する話 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 共感の言葉について:

« 映画「愛を複製する女」、漫画 吉田秋生「海街diary」 | トップページ | 古川壽亮・神庭重信「精神科診察診断学 エビデンスからナラティブへ」医学書院2003年の裏表紙に僕の古い書き込みを発見する話 »