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2015年4月14日 (火)

大学の講義の準備

10数年前に僕を非常勤講師に起用してくれた山口大学衛生学の原田教授も今年の3月に退官されたので、僕の医学部での特別講義も4月21日が最後になるだろう。

年1回だけの講義で医学生との接触も最初で最後ということを繰り返しているわけだから、今回に限って格別工夫することもないのだが、言いたいことを言っておこうという気持ちになった。

そこで作ったのが、以下の講義要約である。

「地域における健康問題とその課題 2015.4.21

皆さんとは初めてお目にかかりますが、僕としては10年来続けてきたこの特別講義も今日で終わりです。 そこで今日は、これまでやってきた地域の医療の具体的紹介からは離れて、将来医師になる皆さんにとって特に重要だと僕が考えていることをお話しすることにします。

講義の目標は以下の3点です。  

① 今日の地域住民の健康を規定している要因のうち最も有力な健康の社会的決定要因Social Determinants  of Healthについて概要を知る。

② 医療のあり方が、一般には「病院の世紀」から「地域包括ケアの世紀」へと変わろうとしていることの意味やその誤った解釈について理解する。

③ 医療における意思決定が困難になっているなかで、その解決のうえで最重要な「臨床倫理」の一端に触れる。今後地域包括ケアの中で鍵になる多職種協働IPWとは、多職種が共通の「臨床倫理」を確立することにほかならないことを理解する。

現代の世界で、「人間の健康を規定するものが何か、別の視点で言えば、人間の健康を阻害するものは何か」ということを知らなければ医師として十分な仕事は出来ません。

この問題は、直感的にはずいぶん早くから把握されていました。細胞病理学の祖であるウイルヒョウや日本の石川啄木は、人間の健康を阻害する最大の原因は貧困や格差という社会的不正義だと見抜いていました。医学は政治だというのはウイルヒョウが到達した結論です。

それを直感ではなく、膨大なデータで証明したのがマイケル・マーモットです。 彼の研究は、WHOヨーロッパ支部で「健康の社会的決定要因SDH8要因」の確定としてまとめられました。 これは「確かな事実」ソリッド・ファクツとして多くの人の記憶に残りました。

その後、彼はWHO本体から頼まれて、より体系的なレポートを作ります。その結論は「不正義が人を殺している」でした。

このことからまず言えるのは、健康の自己責任というものはないということです。したがって健康格差をなくすことから、健康に関する対策、政策はまずはじめなければならないのです。 これを先進国イギリスでの政策として展開したのがマーモットレビューで、6項目に整理されました。

このことを知っておくことは、皆さんがこれから医学・医療を学んでいく上の大前提だと僕には思えます。

次のテーマは地域包括ケアです。

地域包括ケアは、政府の用語としてみると、2025年あたりから爆発的に増えてくる高齢者のケア需要に対する、社会の予防対策です。

何しろ1年間に亡くなる人が現在の126万人(少し前までは60万人台という時代もあったのです)から、2025年には160万人を超えるという時代が来るのですから、葬儀場や火葬場をも含めて大変な準備が必要です。

これにたいして、毎年膨れ上がってくる介護保険や医療保険への公費支出の抑制のみを考えて、介護保険制度を縮小したい、そのあとは自分の努力や、お互いの助け合いでやっていてもらいたい、その仕組みをつくろうというのが最初の動機でした。

そこで政府側が採用したのが「地域包括ケア」の概念です。医療と介護を結びつけるものとしてもともと発展を遂げていたものの都合の良いところだけを使ったという感じです。

しかしその表現は、数年のうちに大きく進化しました。

最初は 医療、介護、住まい、予防、生活支援が並ぶ5弁の花びら形でした。この時点では、それらが平面的にただ連携しているだけでした。

最近は、社会的な土台としての住まいや生活支援の上に、専門家で担われる医療・看護、介護・リハビリ、保健・予防という上部構造が載る「植木鉢」として表現されるようになりました。

この認識の深まりには敬意を表したいと思いますが、それでも私にはこのモデルには決定的な弱点があると思っています。

それは、なぜ超高齢社会が難題と論じられてしまうのかという問いがそこにはないからです。時代背景としての大きな社会変化に認識が届いていないからです。

その変化とは、グローバリズムとか新自由主義と呼ばれる資本主義自体の変化です。

鋭い論陣を張りながら、なおそれに気づいていない例は猪飼周平という若い社会学者です。彼の「20世紀は病院の世紀であったが、それは終焉し、21世紀は『地域包括ケアの世紀』となる」という主張は最近の流行理論になりました。

その変化の捉え方は正しいと思いますが、彼はこれをあたかも社会的価値観の転換という自然現象、社会の内発的変化のように論じている点で誤っていると僕には思えます。

「病院の世紀の終焉」という彼の発見も、一生涯の正規雇用を当然とする安定した企業社会が急速に消え、「一定の治療が済めば、家庭や会社に安心して帰っていける」という病人の支えもなくなったために地域包括ケアが必要になってきている時代背景を抜きに、現状を表面的に理解しているに過ぎません。

正しくは、グローバル化し新自由主義化した現代資本主義が、工場を中心にした拡大再生産からの利潤よりも金融投機からの利潤を優先し、さらに正規労働者の育成より非正規労働者の使い捨て、福祉国家や地域社会の破壊など、人々の生活全般からの略奪に乗り出しており、その影響が何より先に脆弱な要支援、要介護の高齢者に最も強くあらわれるから、超高齢社会が解決の見えない難問となっているのです。

ディビッド・ハーヴェイは資本主義の主流に躍り出たこのタイプの資本主義を「略奪型資本主義」と呼んでいます。

そこで、この植木鉢型モデルは、新自由主義的な健康観・生活観、すなわち健康や生活の自己責任を土台においてしまっているのです。

植木鉢の底にあるのは当事者の自己責任としての覚悟と選択なのです。

ここがこのモデルの決定的弱点になっていると僕には思えます

そのため、モデル全体が「ケア付きコミュニティ」、すなわち温泉付き別荘地と変わらないものとなり、個人の責任で個人の持っている金で購入するものとして地域ケアが構想されるような代物となります。

しかし、正しい意味では、地域包括ケアは、決して超高齢化社会のためだけにあるのではなく、地域の中の全ての人が暮らしやすく、最期まで十分に支えられるかという地域づくり・まちづくの総方針です。そこには自己責任のかけらもないはずのものです。

したがって、いま地域包括ケアと称されているものには、その土台において、本来は全く反対の方向を向いた二つのものが一つの名前で呼ばれているものだということになります。

この問題の解決方向を示すものとして僕は「都市への権利」という概念を紹介したいと思います。生きがいを持ってすみ続けられる町を作るのは、僕たち一人ひとりの基本的人権だということです。

これディヴィッド・ハーヴェイは次のように要約しています。少し長いがそのまま引用しておきます 「われわれがどんな都市を望むのかという問いは、 われわれがどんな人間になりたいのか、どんな社会的関係を求めているのか、自然とのどんな関係を大切にしているのか、どんなライフスタイルを望むのか、どんな審美眼的価値観を抱いているのか、といった問いと切り離すことはできない。 それゆえ『都市への権利』は、都市が体現している諸資源に個人や集団がアクセスする権利をはるかに超えるものである。それは、われわれの内心の願望により近い形で都市を作り直し、再創造する権利である」

Ⅲ 

地域包括ケアの時代にあって、医療における意思決定はきわめて難しくなる場面が増えます。そのなかで重要性を増してくるのは「臨床倫理」を踏まえて意思決定する能力です。

今日は、実際にどういう臨床倫理問題が地域にあるかをよく描いいている教材を2題見ていただいて、どういう問題を皆さんがそこに見つけたかを隣の人と話し合いながら書いていただくことにしようと思います。

「臨床倫理」では複雑な問題を複雑なままに受けとめる能力が重要で、その能力を養うにはそれにふさわしいケースの提供を受けて学習することが大事です。当事者がその場にいて強い自責の念も感じてもいるような実際のカンファレンスは、医学生が参加する教育には向きません。

また、あまりにも抽象化され、単純化された題材で勉強して「これは個人的な善と公共の正義の間の対立です」などと倫理問題を上手に分類できるようになるということはテストでは有効かもしれませんが、実際には役立ちません。

ドラマや小説などを共有して話し合うことが倫理的センスを磨くのに最も有効と思えます。今日はその手始めと思って挑戦してみてください。

実は、今後、地域包括ケアの中で鍵となる多職種協働IPWとはまさに多職種が共通の「臨床倫理」を発見することにほかならないことを僕は考えています。 以上で、今日の講義は終わります。

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