略奪的蓄積に反対する闘いの恒常的拠点としての第一候補に、町の隅々にある診療所を
まったく相互に関連がないが、今朝起きて真っ先に思い出した言葉を、自分流の引用で記録しておこう。
○ 米軍が世界中に軍事基地を1000箇所以上に展開して守っているのは、米国の領土や国民ではない。
ウォール街に資本を注いでいる世界中の金融資本家や、グローバル企業のCEOたちの利益である。
・・・だから日本の金融資本家、大企業のCEOたちも自衛隊を全世界に派遣して米軍の手助けをしなくてはならない。
国家はそれに服従しているだけだ。だが、そのとき、ハンナ・アーレントが指摘していた通り、彼らは国内ではきわめて専制的になる。
・・・・いまの安倍政権の沖縄に対する態度がその典型だ。
これに対し、アメリカ国内に起こっている反専制運動に共感と支援を与えながら、世界中の反グローバル・反略奪の運動の連帯が広がっている。
(デヴィッド・ハーヴェイ 「ニュー・インペリアリズム」青木書店2005年)
○医者が「自らの手で患者を治す」ことに生きがいを感じるのは当然だが、そのパラダイムを離れて、「人の世話をして役立つ」というやりがいも同等に見つかる。
・・・これまでの歴史を通してみても、前者が成立していると思えたのは1950年以降の一時期に過ぎないし、冷静に考えるとそれもほぼ幻想に近い思い込みである。確実だったのは後者だけだ。
人とのコミュニケーションを嫌う人はそのやりがいに向かない、したがって医者にも向いていない。
今の日本の医療に必要なのは「必要なところに必要な診療所がある」ということである。
・・・民医連はいつからその方針を実行できなくなってしまったのだろう。
(藤沼泰樹編 「新総合診療医学」カイ書林2015年)
なぜ、この二つを唐突に思い出したかというと、略奪的蓄積に反対する闘いの恒常的拠点としての第一候補に、町の隅々にある診療所を構想する苦しい夢を見て眼が覚めたからだったろう。
春先はなぜか体調が悪く、悪夢も多いのである。
ところで、一番最後の問題に対する僕の答えは、「限りなく(有床)診療所に近づこうとする心構えで病院を再構成する」ことである。
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