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2015年4月25日 (土)

2015年4月 医療生協理事会挨拶  地域医療からの医師の引き剥がし、住民からの住宅の引き剥がし

2015.4.25理事会挨拶                  

統一地方選挙も大詰めを迎えた日の理事会となって、お忙しい中大変ご苦労様です。

桜は散りましたが、いまはハナミズキなどが美しい季節になりました。
宇部市役所前の通り赤と白のハナミズキが満開です。明日がおわれば、ぜひゆっくりと新緑の季節をお楽しみいただきたいと思います。
今日の挨拶もなるべく短く終わりたいとおもいます。

自公政権は、昨年7月1日の集団的自衛権行使の閣議決定に引き続き、4月24日には戦争法制10法案の全容をはっきりさせました。
9条完全破壊法案といっていい最悪の内容ですので、9条の会に代表される護憲運動は今ここで最大の反撃を準備しないと、今まで何をしてきたのかということになる事態です。

全日本民医連は5月9日に全国一斉の行動を起こすことを決めていますが、山口民医連はその一日前の5月8日に190号線沿いに数箇所で、9条と25条を守れ、戦争法制粉砕の宣伝を展開する「190号線制圧作戦」を計画しました。理事の皆さんにもご協力いただきたいと存じます。

一方、目を医療・介護領域に転じますと、急浮上している問題が二つあり、両方とも、地域包括ケア全体を政府の考えどおりに動かす大きな策動の一環だと考えられます。

昨日24日、衆議院厚生労働委員会で医療保険改定案が可決されましたが、その中に、県が医療費削減のために地域医療構想を策定する義務が課せられるというものがあります。

これは現在ある病院の機能を整理して病床を減らすということが主眼となりますが、どこにどれくらいの専門医がいればよいという医師の配置計画を含むものとなると思えます。

すなわち、専門医の地域別の定数化です。

これに呼応して医師の間で大問題となっているのが、2017年スタートの「新専門医制度」です。実質、国が19の領域の専門医を公認し、医師の全てをどれかに当てはめようとするものです。専門医の数は、この制度で完全に統制可能となります。
そのための医師研修は大学中心で、民医連が独自に研修システムを作ることはほとんど不可能となります。
大学病院をピラミッドにした急性期病院のピラミッドに医師の大半を閉じ込めるつもりです。
年を取り、専門医の資格更新もできなくなり急性期病院にふさわしくなくなった医師はあっさり切り捨てるつもりだと思います。
地域を担うというふれこみだった総合診療医はこの専門医制度の宣伝塔でしたが、おそらくは急性期病院の現場マネージメントという下積み役を担わされるのでしょう。

一時期、弁護士がもっと必要だというのでたくさんの法科大学院を作り多数の弁護士の卵を作りましたが、それらの人は就職先もなく路頭に迷って社会から忘れられようとしています。今度はベテランの医師が同じ目にあうのではないかと思います。

では、地域医療の現場は誰が担うのかというと、医師化した看護師です。

医師の形式的な指示(包括指示)があれば、ある研修を終えた看護師の判断で相当高度の医(療)行為(=特定行為)が実施できる制度が今年10月から実施されます。

同時に医師の判断とより具体的な指示があれば、研修を終えてない看護師もその医行為を実施させられます。

一例を挙げると、主治医が「この患者さんの呼吸困難が増悪すれば気管内挿管する」、あるいは「床ずれが悪化すれば切開する」という大まかな指示を、実際はあらかじめ様式化されて、本当は誰も見るものがいない、まるで保険の契約書のような手順書にサインすることで交付しておけば、いまその時期が来たと判断した研修済みの看護師は傍に医師がいなくても気管内挿管できる、床ずれを切開するという義務を背負わされます。

同時に、医師が傍にいて口で具体的に指示すれば、研修を終えていない看護師も気管内挿管してよい、とこずれを切開してよいということになります。

その後、麻酔学会からのクレームで気管内挿管は特定行為からは外されましたが、現在38項目の医行為が示されておりこれはさらに拡大して、気管内挿管もいずれ復活するとされています。

研修を終えた看護師の配置先は主として訪問看護ステーションです。数年後には訪問看護師の8割は研修を修了していることが想定されています。
これがいま、医療・介護の世界で大問題に浮上しているのは当然です。
結局、これは在宅医療から医師をはがして、在宅医療を看護師の手に委ねるということにほかなりません。

政府側の「地域包括ケア研究会」のブレーンである堀田聡子さんがオランダの開業在宅看護師集団 「ビュートゾルフ」を研究して、彼女たちは日本の在宅医療で医師がしていることは全部できると言っていることに見事に一致します。

こうした、医師の仕事を看護師がすることを「タスク・シフティング」訳せば役割移動といい、おもに医師が絶対的に足りない途上国でやむをえず行われていることで、世界医師会議も厳しく条件をつけているものです。

医師はみんな専門医として急性期病院に閉じ込め、在宅をはじめ地域医療は看護師に任せ、患者の療養の世話はホーム・ヘルパーにまかせ(喀痰吸引を最近ホーム・ヘルパーに許可したのはご記憶かと思います)、患者の生活援助は住民に任せるという、大規模なタスク・シフティングが、実は地域包括ケアだということも可能です。いや、それが本質だろうと思います。

そして、最後のタスク・シフティングは、住まいや生活の主人公という住民の本質的役割を資本に譲り渡すということで完結します。
サービス付高齢者住宅の爆発的普及は、住まいの重視という名前で隠した、住民からの住宅はがしです。今すんでいる住宅を改造したり、サービスをつけ住みやすくするのではありません。

また、どうしても自分の家に住みたいという人も、地域の人に支えられることはあきらめて、(地域の人はホーム・ヘルパーがわりにサービスつき高齢者住宅に起用されているからです)コンビニのサービスで暮らすより他はなくなります。

コンビニのない地域で暮らす人は野垂れ死ぬしかないでしょう。

こういう、タスク・シフトが政府の言う地域包括ケアの本質であるということを見抜いて、本物の地域包括ケアを作っていくことが、今年度の医療生協の役割だと思えます。 

住民は地域生活の主権者としての住民の役割を取り戻し、医師は医師として地域住民の健康の守りてである役割を取り戻さなければなりません。看護師は患者の療養援助の役割をもっと充実できるような要求をして行くべきです。介護職は生活援助のプロとしてもっと力を発揮すべきです。

もちろん、医師より賢い看護師は山といますが、それぞれ少しづつ敬意を持って越境しながら、自分の役割を完遂しなければなりません。
大きな役割交代はあり得ると思いますが、それは大いなる熟慮と議論の結果にしか寄らないと思えます。

簡単ですが、これで、今月のご挨拶といたします。

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