社会学では病気とは、社会の歪みが個人に現象したものと考える(小熊英二)
藤沼先生たちがやっている Medical Studio というNPOが提供しているサイトで、小熊英二さんや猪飼周平さんたちのセッションが視聴できるので、昼休みに途中まで聴いた。
https://www.youtube.com/watch?v=aLAhaln8qHA
どこから資金が出ているのだろう?、後ろに見える顔は栃木民医連の先生かな? などと思いながら。
小熊英二は「医者は病気を臓器=パーツの故障と考えがちだが、社会学では病気とは、社会の歪みが個人に現象したものと考える。」と言っている。
「被災地のアルコール依存
水俣などの公害病
結核やコレラなど公衆衛生環境
に大きく依存する伝染病のことを考えればこれは簡単にわかる。
いつごろから、個人を治せばよい、個別の臓器を治せばよいと考えるようになったかというと、19世紀、パーツの組み合わせでできた機械が生産に活躍する時代からだ。それまでは機械だって一点物で、部分的に直すだけいいものはなかった」
小熊英二の語りを聞いていると、
1945-1972の拡大再生産による資本蓄積時代に花開いた病院医療、
その中でも臓器専門主義の趨勢が、
1995年ごろから明瞭になった略奪による資本蓄積(非正規雇用、農業破壊、年金や医療費の縮小など、最近ではTPPの強制や辺野古の略奪もこれに含まれる)への軸足転換のなかでは、
必然的に「抵抗の医療」としての総合診療を生みださねばならなかった理由がストレートに分かる気がする。
研究者はぜひ精密にその変化を検討してほしいが、老い先も短く・気も短い僕としてこの直感だけで十分だ。
| 固定リンク
コメント