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2015年3月25日 (水)

社会学では病気とは、社会の歪みが個人に現象したものと考える(小熊英二)

藤沼先生たちがやっている Medical Studio というNPOが提供しているサイトで、小熊英二さんや猪飼周平さんたちのセッションが視聴できるので、昼休みに途中まで聴いた。

https://www.youtube.com/watch?v=aLAhaln8qHA

どこから資金が出ているのだろう?、後ろに見える顔は栃木民医連の先生かな? などと思いながら。

小熊英二は「医者は病気を臓器=パーツの故障と考えがちだが、社会学では病気とは、社会の歪みが個人に現象したものと考える。」と言っている。

「被災地のアルコール依存

水俣などの公害病

結核やコレラなど公衆衛生環境

に大きく依存する伝染病のことを考えればこれは簡単にわかる。

いつごろから、個人を治せばよい、個別の臓器を治せばよいと考えるようになったかというと、19世紀、パーツの組み合わせでできた機械が生産に活躍する時代からだ。それまでは機械だって一点物で、部分的に直すだけいいものはなかった」

小熊英二の語りを聞いていると、

1945-1972の拡大再生産による資本蓄積時代に花開いた病院医療、

その中でも臓器専門主義の趨勢が、

1995年ごろから明瞭になった略奪による資本蓄積(非正規雇用、農業破壊、年金や医療費の縮小など、最近ではTPPの強制や辺野古の略奪もこれに含まれる)への軸足転換のなかでは、

必然的に「抵抗の医療」としての総合診療を生みださねばならなかった理由がストレートに分かる気がする。

研究者はぜひ精密にその変化を検討してほしいが、老い先も短く・気も短い僕としてこの直感だけで十分だ。

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