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2015年3月26日 (木)

被害者階級(小川政亮)

ルールある資本主義とは、言いかえれば拡大再生産による資本蓄積を目指す資本主義のことで、労働力と賃金が等価交換され、福祉国家の土台になることができるものである。

ルールを失った資本主義とは、略奪による資本蓄積を目指す資本主義で、拡大再生産より投機的金融での利潤を追求し、福祉国家を破壊して、国家の力で非正規労働を労働者に強制して賃金と労働力を著しく不等価にし、同時に従来資本主義の外側にあった教育、医療、協同組合経済、地方の小規模農林漁業、高齢者の年金生活などの各領域からの略奪に、(加えれば国内植民地としての沖縄からの略奪も解消することなく)、走っているものである。

世界では 1973年以降は後者が主流になった。日本では20年くらい遅れる。

医療や教育の営利化・市場化による被害もそのころから顕著になっているが、それは「営利化」「市場化」などという、ルールある資本主義にも適用できる言葉を用いれば正体が見えなくなる。医療や教育領域からの「略奪」という言葉を用いて考えないといけない。介護労働者の賃金が、著しく不等価交換で安いのも、単に「市場化」と呼んでは説明ができないだろう。

*なお、時間的経過からみれば、拡大再生産による資本蓄積時代の医療が病院での領域別専門化を特徴とするもので、逆に言えば、それでなんとか矛盾が表面化しないで済んでいた時代の医療といえる。一方、略奪的蓄積が主流となった時代の医療は、社会と生活のまるごとを対象とせざるをえない総合医療である。それはどうしても、時代の流れへの抵抗となる。「抵抗の医療としての総合医療」と僕がいうのはそのためである。

反撃は2段階で行われなければならない。

まずは諸領域からの略奪、労働力と賃金の著しい不等価交換をやめさせること。ここにあらゆる被害者階級の力が注がれなければならない。

*被害者階級という言葉は、社会保障論で、真田 是先生と並ぶ位置にあった小川政亮先生が採用されていた用語である。 考えれば、真田先生とは何度も話ができ、小川先生にも非労働者階級の人々の社会保障の権利は、レーニンの「労働者保険綱領」1917の立場からどう説明できるのかと質問できたことは僕の人生の幸運の一つだった。そのとき、被害者階級という考え方で概念を拡張すればよいと小川先生はおっしゃったのだが、すでに略奪的資本蓄積が主流になるという予感はそこにあったのである。

ついで、一見等価交換と見える賃労働も、絶えず不等価に陥る傾向を持っている、労働者の時間と未来を奪う略奪の一類型だとして廃止するという段階がやってくる。

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