二段階革命論
高井正夫さんが僕のフェースブックへの投稿に対する最近のコメントで
「自らの国民国家(の本国内)において搾取から『略奪』に転換したのは、実は日本だけです」
と述べていた。
小森陽一ほか「壊れいく世界と時代の課題」岩波2009のなかでカン・サンジュン氏が「今の日本のグローバル化は『国民なきナショナリズム』だ」と述べているのも同様の意味である。ただカン氏は韓国でも中国でも同じことが起きているとも言っているのだが。
これを考えていくうえで参考になるのは小森陽一さんが「ポストコロニアル」岩波書店2001で「自己植民地化」という概念を示し、近代化の中で、欧米に決定的に遅れていた日本は自己否定し続けなければなかった、すなわち近代化日本の支配者は国民を他者に、すなわち国内を自らの植民地に仕立てるほかはなかったと述べていることである。
似たようなことは、樋口陽一さんと対談した加藤周一さんが、占領軍が戦前日本の軍事膨張主義の原因を分析したのが講座派マルクス主義とまったく同じ結論だったのでおやおやと思ったと回想している場面でも述べられている。
その分析は、戦前の日本国民の大半は搾取されて貧しい小作農民で購買力がきわめて低かったので、日本の国内市場が非常に貧弱なものとなり、資本家は原料のみならず市場そのものを国外に求める以外はなく、結果として軍事的な膨張主義傾向が強くなったというものである。
そこで、占領軍がまず手をつけたのは小作農民の購買力向上、国内市場の創造で、そのために農地改革が徹底されたわけである。
こうしてみると、新自由主義の中でも、自国民を略奪してなんら恥じることのない日本の支配層の姿勢は明治以来のものであり、それを克服するには不断の市民革命徹底化しかないのかもしれない。
それは、講座派以来、日本共産党に連綿として受け継がれてきた二段階革命論の現代的な表現だともいえる。
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