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2015年2月22日 (日)

地域包括ケアを観念論から唯物論に

三菱UFJ総研の例の地域包括ケアの模式図、植木鉢型。

http://www.murc.jp/uploads/2013/04/koukai130423_01.pdf

あれはあれで精緻にできているが、致命的な欠点は土台に「本人や家族の選択と心構え」という自己責任原理を置いていることだ。

土台を自己責任原理から、人権の基本としての「健康権」に置き換えると、そのまま、「無差別平等の地域包括ケア」に換骨奪胎できる。

もちろん、土台を取り替えても変わらないのは、植木鉢型の形だけで、その中身は180度逆立ちする。

具体的な例を一つあげよう。住まいの問題だ。

サ高住ひとつをとっても、僕らはこれを持家政策の延長としての個人責任にしてはなるまい。
公営住宅のサ高住化、それは増える空き家を自治体が高齢者住宅として借り上げる形式でも良い。
そういう換骨奪胎の実例を増やしてみたい。

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