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2015年2月15日 (日)

川上 徹の死

今年1月に川上徹さんは死んだらしい。

別に知り合いではないが、1970年に彼が民青同盟中央常任委員として山口大学にやって来た講演をきっかけに決まった僕の政治的な立ち位置が今も続いているので全く無縁というわけではない。
そこで、彼の著書「素描・1960年代」同時代社2007を借りて読んでみた。その読書や、こうしてこの感想書くこと自体はある意味時間の無駄という類のことだが、やはり、一応の読書記録は残しておこう。

上記の1970年当時のことも書かれており、当時の僕にとってはまるで雲の上のことであった民青の中枢が随分俗っぽく軽いものであったことなどがわかり、それを読むのはそんなに気分の良いものではない。Y委員長の実像なども本当のようだ。

中心的な部分は彼がやはり明確な分派を形成していたという告白である。彼は共産党の議員が大衆の上に立って大衆の闘争を代行するあり方が深まって行くことに反対だったようだ。

僕も候補者が「私をどうかを議会に押し『上げて』下さい。みなさんの『代表』にしてください、政治を私に託して下さい」と、議員が市民より一段上の存在であることを当然視するような演説をするのは好きではない。だが、そのことと、議会活動を正当に評価することは別で、選挙や議会を通じない改革はないと思っているので、この部分に同情はない。

ただ、1970年代の民青や共産党の内部が「拡大」を巡って過度に競争的だったのはなぜだろうかということでは、あまり認識が違わない気がした。そのせいで、僕は本来無二の親友となるべき友人とも深い仲違いをしたままになった。社会全体が中間組織が大きくなって過度に競争的だったのだ。

それから、民族民主統一戦線政府と民主連合政府の違いについてを党内の試験の問題としたような、過度な定義好き、理論的精密さも、両者とも実現がはるかに遠かったことを思うと今では奇妙に思う。現実と遊離した宗教学のようでもある。それがなぜだったかもなんとなくわかったような気もした。

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