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2015年2月17日 (火)

資本の今

よく分からないでもやもやしていることだが、結局は以下のように図式化できるのだろうか。

生産技術革新の限界(対地球、対自然による制約)

― 労働力と賃金の等価交換の可能な産業資本の縮小

― 略奪的生産の復活・拡大(例:ユニクロのやっている苦汗工場)=新自由主義 

― 資本の過剰 

― 金融資本の活動拡大 

― 偽消費(非生産手段、非生活手段)の象徴としての大都市建造・原発建造 

― その先にある最終的な偽消費としての戦争

ところで、マルクスは人間が労働の苦役から解放される「自由の国」の生産力の水準をどの程度に思い描いていたのだろう。 現時点の生産力はそれにはるかに及ばないのだろうか?そうではないような気がする。そうでなければ、永遠に「自由の国」は来ない気がする。 地球という人間の第一条件から考えて、もう生産力の成長は限界なのではないか。 だとすれば現在の生産力を定常的に維持することを前提にして、今すぐにでも「自由の国」にふさわしい社会組織になるような道を考えなければならない。 「能力に応じた労働と能力に応じた分配」が社会主義だなどという時代遅れの段階的見解を笑い捨て、真直ぐに必要に応じた分配に向かえばよいのだという方向を示した、過年の「ゴータ綱領批判」再解釈もその線の上にあった話である。

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