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2015年2月22日 (日)

朝鮮戦争の結果が違ったら、日本はただちに改憲しただろうか

一昨年、韓国の漢江河口に近い統一展望台で北朝鮮の村を眺めながら考えたことが二つある。
一つは第二次大戦後の分断国家の悲劇的役割を負うべきはむしろ日本だった、ということである1(そのとき、朝鮮半島はギリシャのような足跡を辿っただろうか)
1910-45年の植民地支配だけではない二重の責めを日本は朝鮮に課せられている。

もう一つは、1950年、金日成軍の侵略から始まった朝鮮戦争が北朝鮮の勝利に終わって、釜山までがその政権の支配下に置かれたとしたら、日本はただちに9条を改憲し、パク・チョンヒ政権下の韓国のような軍事独裁国家になっただろうということだ。そのときは、僕らの運命も変わり、徴兵されて、ベトナムやアフガンやイラクに派兵されていたに違いない。

その話を、一橋大名誉教授の渡辺 治さんにしてみると、いや、そんなに簡単に改憲されなかっただろうとすぐに返事された。

朝鮮戦争を契機に起こったことは、左派日本社会党の結成や、労働組合ナショナルセンターの総評の左傾だった。
特に総評は米軍によって作られた反共組織だったので、その変化は目覚ましいものだった。それは、日本国民の反戦感情、憲法9条への強い期待・希望を背景にしたもので、それを考えると、改憲策動への国民的反発は凄まじいものとなり、米軍も手をつけられなかっただろう。

やはり、米国の軍事力をバックにした圧力に負けずに全てを決めるのは国民の意識であり、普天間移設問題でも、意思を明瞭にした沖縄の人々を孤立させないような日本全体の反戦世論の発展こそ鍵だ。

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