どこから革命的な反資本主義運動を始めるか
これも私の「老人力」だろうか。
先日渡辺 治先生と話すという稀な機会を得たとき、
「先生はデビッド・ハーヴェイなど読みますか」と訊いたら妙な間があり、返事がなかった。
・・・?ふと気づいて
「ああ、一番重要な『新自由主義』作品社は先生が監訳したのでしたね。その他の日本語訳も全部先生のお弟子さん。読むとかと言うもんじゃないなぁ」と自分で答えておいた。
それから、民医連の「もっとも困難な人の立場に立って行動する」はジョン・ロールズの「正議論」にある正義の第2原理に由来するという話をして
「先生は『正議論』などという長い本も読まれますか」と訊いた。
「もちろん」。きっぱりそれだけ。
プロとアマチュアの会話はこんなものだが、これを恥じなくなったのは、繰り返し言うが「老人力」以外の何者でもない。
それはそうと、深い疲労を抱えて山口に向かう飛行機の中で、その疲労を全て吹き飛ばすようなデヴィッド・ハーヴェイの言葉に出会った。
「資本の謎」作品社2012年 176ページ 僕流に少し変えて引用することにする。
「では、われわれは、革命的な反資本主義運動をどの領域から開始するべきなのだろうか?
精神的な観念か?
自然保護や反原発か?
医療や社会保障も含む生活様式の改革か?
コミュニティの再建か?
生産技術や企業形態の変革か?
労働時間その他の労働のあり方の変更か?
それとも議会や行政を握ることか?。
そのどこから始めるかについてさまざまな思想・運動潮流があり、不幸にして往々互いに対立し、排除し合っている。
しかし、マルクスが資本論第1巻第13章「機械と大工業」で示した史的唯物論の7領域共進化理論が意味しているのは、停滞するのでない限り、どこから初めても良いということだ!!
突出して全体を支配する領域なんてない。全ての領域を横断して運動することがなければどこにも行くことはできない。
例えば自然と人間の関係に深い知識を持っている人は、行政に精通している人、技術に詳しい人、教育や社会保障に詳しい人、哲学に長けている人と同盟することが至上命令になる。」
これこそ、民医連がいう「かけはし」路線なのである。
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