C.ダグラス・ラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」 平凡社ライブラリー2004年 を読みながら :2
これは2004年の古い本なのだが、今読んでとりわけ印象的な部分がある。
この本が書かれる数年前、反原発運動が下火になったことがあり、それを心配した学生から、「この運動は無くなってしまうのだろうか」とラミス氏は質問されたというのだ。
故障しない機械はないのだから、かならず原発事故は起こる。その時、反原発運動は大きくなるから、運動がなくなってしまうことはありえない。
それより問題なのは、その事故、特に破滅的なものになってしまうような事故になるまでに、それを防ぎうる運動として間に合うかどうか(という偶然)なのだ、とラミス氏は答える。
現実は2011.3.11がその10年後に起きて、取り返しのつかない汚染が生じた。
運動は間に合わなかったのだ。
だが次の大事故までには間に合うかもしれないというのが僕らの希望であり、義務である。
同じようなことはいくらでもあげられる。
護憲、反戦、環境保護・・・運動が盛り上がるかどうかはすでに問題ではない。破滅に間に合うかどうかなのだ。
間に合ったところで、世界はもうバラ色ではない。地球の各地は放射能で汚染され、無意味に殺された人々の怨念は大気を満たしているだろう。
だが、そこから僕らの未来は時を刻んで行くしかない。
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