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2015年2月20日 (金)

C.ダグラス・ラミス「経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか」 平凡社ライブラリー2004年 を読みながら

我が家はケーブルテレビに加入していて、アメリカの人気TVドラマを多数見ることができるが、なんにしても、異常な連続殺人事件を扱ったものが多すぎて食傷気味である。

しかし、これは確実にアメリカ社会の現実の反映である。個人による大量銃乱射事件が極めて多い。高校生も平気でそれをやっている。
いったいこれはなぜなのだろう。

第2次大戦後もアメリカは戦争を続けているが、彼らがうまくやっているのは、決して自国を戦場にしないことである。

「国家だけが暴力を独占すると平和になるだろう」というトマス・ホッブズ(17世紀の人、「リバイアサン」の著者)の教えに従って政治をやって見たのが20世紀だということができるが、ハワイ大学のランメルという学者の研究によれば、20世紀には2億人が国家によって殺され、実にそのうち1億3千万は自国の軍隊によるものだったというのである。

しかも、その2億人のうち戦死は3400万人に過ぎず、民間人がその5倍1億7000万人に達するのである。

ホッブズが約束した平和な20世紀は戦争で武装しない住民が大量死する世紀だったわけである。

そこで、他国民と自国民、軍人と民間人の死の比率から言うと、アメリカは自国民や民間人を殺すことが少ないいい国だということであるが、話がそううまく行くわけがない。

殺人の訓練を受けている人間が常時数十万いて、海外で実際に大規模な殺人行為を許されている時、彼らが国内に影響を与えない理由はないのである。殺人に溢れる社会になるのは当然の帰結である。

TVドラマが連続殺人に快楽を覚えるサイコパスという犯人像をでっち上げるのは、そういう真実を覆い隠すものでしかない。

日本はそういう社会とは全く違う。

だが、これから海外派兵をすると急速にそういう国に近くなるだろうし、国産TVシーンも変わるだろう。

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