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2015年1月27日 (火)

デヴィッド・ハーヴェイ「〈資本論〉入門」の刺激的な問題提起 《技術は社会的総体性における他の諸要素に対してけっして中立的なものではない》

デヴィッド・ハーヴェイ「〈資本論〉入門」の刺激的な問題提起
《技術は社会的総体性における他の諸要素に対してけっして中立的なものではない》330ページ
《資本は新しい技術を階級闘争の手段として意識的に構築する》331ページ

19世紀の最初の15年間にイギリスの工業地区で行われた労働者による機械の大量破壊はラダイト運動として知られているが、マルクスがそれについて「攻撃の対象を物質的生産手段そのものからその社会的利用形態へと移すことを労働者が覚えるまでには、時間と経験が必要だった」と資本論で書いたのはどういう意味だったか。

それは機械それ自体は中立で、そのまま社会主義への移行にももちいることができるが、機械が資本家に所有されていることが問題だという意味でいいのだろうか。

マルクスのこの部分の脚注 4によれば、技術・機械と社会的諸関係や生産関係は不可分に統合されているものである。

当時の機械の設計思想のなかに反労働者的要素が沁み通り、機械はそういうものとして存在したのである。ラダイト運動はその設計思想との対立だったのではないか。

それゆえ、レーニンがロシア革命後にフォード主義を礼賛し、それに基づくような工場を設計した時、彼はアメリカ的な社会関係を反映した思想も導入したかもしれない危険な地点に立った。その結末を見ずに彼は死ぬことができただけである。

鄧小平の「白猫でも黒猫でもネズミを取る猫は良い猫だ」という発言はもっと行き過ぎた居直りになってしまったものと僕にも思える。

資本主義的生産様式に適合的な技術や機械を用いれば、そのなかに内在している社会的諸関係や精神的要素を採用したことになる。

これが、資本主義の最悪の別バージョンだったソ連ではないのか。

マルクスはプルードンの言う正義がブルジョワの言う正義を無批判に採用したものだと嘲笑したが、技術や機械の採用については自身が同じ誤りを冒しているのではないか。

こうしたハーヴェイの批判は、ICT(情報コミュニケーション技術)という現代の代表的技術・機械の体系が、青年の精神を破壊し、権力による住民管理を大規模に推進している現実を見れば容易に納得できるものである。

21世紀のラダイト運動は必要だし、オルタナティブなICT、オルタナティブな自然との関係、オルタナティブな生産関係、オルタナティブな社会的諸関係、オルタナティブな日常生活のあり方を一体のものとして意識的に追求すべきなのだ。

とりあえず、私たちはそれを、「非営利と協同の上に立つ、いのちとくらしの運動」と表現しているのであるが。

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