雑誌「現代思想 2015年1月 臨時増刊 柄谷行人の思想」青土社 設計の意味
雑誌「現代思想 2015年1月 臨時増刊 柄谷行人の思想」青土社を読みながら
ナイアガラの滝を境にして隣り合っているバッファロー(アメリカ)とトロント(カナダ)の町の現状に柄谷は触れている。78ページ。
前者は荒廃のきわみにあり、後者は活気に満ちている。(トロントの健全な繁栄はトランジットで2泊しただけの僕にもなんとなく感じ取られることだった。)
その原因の一つに都市プランニングの差があり、それは一人の優れた女性建築批評家の存在によるというのが柄谷の主張である。
1950年代のニューヨークの都市再開発に反対して市民運動を組織して抵抗したジェーン・ジェイコブズという女性建築ジャーナリストは、米国のベトナム戦争政策にも反対してトロントに移住する。
彼女はそこでも都市の自然発生的な成長による多様性を大事にして、ゾーニング(棲み分け)などの人工都市化に反対し続けた。地下鉄や路面電車での市民の自由な交流を重視した。彼女は具体的な設計にはまったく関与しなかったが、この町はそのような発展を遂げた。一方、バッファローは完全なゾーニングを実行し、地下鉄を作らなかった。地下鉄を作れば貧困層が富裕な町に簡単にやってこれるからである。
一人の建築批評家の存在がこれだけの意味を持つと柄谷は言っている。 もちろん、これは両都市の違いの原因のごく一部分に過ぎないだろう。
アメリカとカナダの社会格差の程度の違い、市民の生活形態の違い、技術や建築に対する考え方の違いなど相互に影響する諸要素が重なり合っての結果である。
ここで僕が考えたのは、都市にしろ機械にしろ、設計というものの重要さのことである。
それは19世紀の早い時期に起こった機械打ちこわし運動・ラダイト運動に向けたデヴィッド・ハーヴェイの問題意識に通じる。
労働の組織形態や機械は、封建制、資本主義、過渡期、社会主義の諸時代に対して中立的なもので、要はその使い方しだいというものではない。
組織形態や機械の設計そのもののなかに資本主義や社会主義の本質的な刻印が押されるのである。
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