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2015年1月 5日 (月)

箕岡真子「認知症ケアの倫理」ワールドプランニング2010年

箕岡真子「認知症ケアの倫理」ワールドプランニング2010年

「私たちが認知症の人たちのQOLを評価するに当たって大切なことは『なにがその人にとって幸福か』ということです。  

そのためには認知症の人たちの感情に関心を持つことが大切です。その人特有の感情表現、コミュニケーション方法を理解し尊重しなければなりません」62ページ

ごくごく当然のことである。カンファレンスでも必ず誰かがそういう発言をする。

だが、日常生活で、同僚や家族、患者その他の他者の感情に鋭敏に気づき、尊重するという訓練を経ていない人、あるいはその経験を積むことも出来ない状況の人が、こと認知症の人相手なら可能になるというのだろうか。

もし、そういう人がいるのであれば、それはやはり自分の固定した認識の型紙をその認知症の人に当てはめて判ったつもりでいるだけなのだろうと思う。

認知症の人なら、その感情もまるで乳幼児のように単純で、簡単に把握できるという誤解がそこにはあるのではないか。だからこそ、幼児言葉でその人に接しているのではないか。

認知症の人のインフォームド・コンセントでも同じことだが、その人の感情や意思の理解は、私たちの日常で鍛えられた人間力をフルに稼動して感知すべきことなのである。

・・・だが、人のことをとやかく言うべきでもない。

帰省して感じることのあれこれ、たとえば古い写真から立ち上る記憶に身を任せるているときの感情、散歩して頬に感じる風、旧知の人の挨拶、そういうものからむりやり引きはがされるようにして長時間勤務の職場にいれば、QOLの感情的側面は自分自身のことだって、他者のことだって、そもそも自分には理解できないというところから始めたほうがいい。

問われているのは「実社会での有用性、有能性」という幻想から解放されて広がる可能性としてのQOLを想像できるかどうかだ。

それは、マルクスが言った「自由の国」からの「必然の国」に向けてのほんのかすかな合図である。

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