年末は漱石? 子規=坊つちゃん・清、「こころ」のK=啄木?
夏目漱石論については大岡昇平「小説家 夏目漱石」ちくま学芸文庫1992(初刊は1988)
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E5%…/…/4480080015
に強く影響されてしまったので、それまでは読んでいた小森陽一や柄谷行人のものを以後あまりまじめに読まないことになってしまった。
大岡昇平は、夏目漱石と正岡子規の関係をそれほど重視していなかった。
... しかし、今日、ふと本棚の隙間に落ちていた小森陽一「漱石を読みなおす」ちくま新書1995
http://www.amazon.co.jp/%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E3%…/…/4480056378
を開くと、漱石の文学的出発が失意の中で死に行く文学上の盟友・子規を見捨てた罪悪感によるものであることが強調されていて、「読んだはずなのに忘れている」という最近際立って自分に目立つ現象のレベルを超えて感慨深かった。
それはなんだか年末の今日にふさわしいような気がした。
漱石=(徴兵逃れのための外地・北海道岩内町への)「送籍」という筆名の由来にしろ日清戦争の中に死地を求めるように従軍記者として赴いた子規への負い目の表現だし、「坊つちゃん」を書いた動機もまた子規に強く関連している。
「坊つちゃん」の最後に「気の毒な事に肺炎に罹って死んでしまった」とのべられる女中・清は実は子規のことだった。
漱石にかかわる謎解きについてはもう一つ挙げておくべき本がある。
高橋源一郎が本当は割りとまじめに書いた「日本文学盛衰史」である・ http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%96%87%E5%AD%A6%E7%9B%9B%E8%A1%B0%E5%8F%B2-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E6%A9%8B-%E6%BA%90%E4%B8%80%E9%83%8E/dp/4062747812
そのなかで、朝日新聞社に一緒に勤めていた漱石と啄木が新聞社内の大浴場で話し合う場面が設定されていた。
実はこの本で高橋は、漱石の「こころ」の登場人物Kが石川啄木こと工藤一であることを主張しているのだ。
啄木の革命的評論で大逆事件を動機とした「時代閉塞の現状」の執筆を依頼した上で、さらに朝日新聞上への発表を彼の「先生」として禁じ、この評論を葬ったのは夏目漱石であるという。
啄木の最も重要な文章を抹殺し、まもなく本人も無念の死亡に至ったとき、漱石は啄木を殺した自責を解決する小説を奇妙な構造のもとに書かざるをえなくなった。それが「こころ」である。
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