地域から餓死、虐待死、孤独死を出さないと決意した住民グループに必死に寄り添うような支援こそが求められているはずである・・・日本におけるHPH ヘルス・プロモーティング・ホスピタル運動
HPH ヘルス・プロモーティング・ホスピタル運動は、中立的な性質が特徴で、取り組む主体次第でどうにでも使われるもののように思われる。
患者の生活習慣を改善する、病院周囲の地域住民の自主的健康作り活動を支援する、職員のメンタルヘルス対策をするという程度ならどんな病院でもできる。
新自由主義と闘うという要素は全て削ぎ落とすことができるから、台湾では国策化し、韓国でもその雰囲気が強い。
日本医師会だって、「人間の安全保障」政策を取り入れ、国防と同レベルに社会保障を重視せよという提案をしていたので、それと同じくらいの意識で取り入れる可能性がある。
しかし、突き詰めれば、新自由主義と闘うことなしにこの運動の目的は果たせない。
その時の武器はSDHの視点である。
患者の生活習慣だって、それを決定しているのは彼や彼女の社会経済的ポジションである。
不安定雇用で過労死寸前だったり、失業していれば、良い生活習慣もへったくれもないだろう。
待合室でコンサートを開き地域の文化に寄与していると自慢したり、地域住民の富裕層が料理教室やヨガ教室をするのを支援しても、もともと健康な階層が健康になるのを手伝うだけのことである。
地域から餓死、虐待死、孤独死を出さないと決意した住民グループに必死に寄り添うような支援こそが求められているはずである。
職員の健康も、資本主義下の企業として、パワハラを常態化している看護部、事務部になっていないかを真剣に点検すべきだろう。また、介護職員に対してのブラック企業化をやむをえないものと諦めていないか、議論を封じていないか。
HPH運動への賛同が闘いなしに無定見に広がることを喜ぶところにとどまらない自省的姿勢こそが今求められていると思える。
*HPHの背景となっているWHOのヘルスプロモーション関係の諸文書の中を貫く歴史的な変化をジャカルタ宣言、バンコク憲章を到達点として動的に捉えることが重要だ。
僕がSDHや健康権の講義をする時のポイントは、健康戦略の当時の世界情勢からの影響で、ジャカルタ宣言・バンコク憲章は新自由主義との闘いの旗印だということにしている。
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