信田さよ子「カウンセラーはなにを見ているか」医学書院2014/5
三日間も会議が連続した出張から帰って、日曜日の病院に顔を出してみる。
いつもより数の少ない職員がもくもくと働いていて、病棟で若干の指示を出してしまえば、話すこともなくなる。
会議出張では傾聴に徹して常に話したい気持ちを強く抑制されているので、こういう日曜は無性に人と話がしたいが、誰も相手がいない。
医局に行っても人がいない。
医局にも置いてある自分の机の上には注文していた信田さよ子「カウンセラーはなにを見ているか」医学書院が届いている。
http://www.igaku-shoin.co.jp/bookDetail.do?book=86259
一昔前の映画「エマニエル夫人」を思い出させる派手な表紙だけに、僕がなにを読んでいるのか不思議に思った人もいるに違いない。僕より6歳年長のベテラン臨床心理士の話題の本である。
読まなければならない厚い本がどんどんたまっているのに、学校の帰りにお婆さんが店番をしていてエロ本も置いてある小さな本屋に寄り道するように読み始めてしまう。
クライアントの語る話を全て映画にして記憶し、住んでいる家の住所、最寄駅がその人のファイルを記憶の中から取り出すときのパスワードという非凡なカウンセラーの話を読みながら、僕に必要なのもカウンセラーかもしれないと一瞬思う。
さまざまな決まりごとに縛られて窒息したくなければ、その決まりごとから自由でなくてはならない。
決まりごとから自由だということは、無視するとか平然と踏みにじるということではない。決まりごとを相対化すること、すなわち、決まりごとの発生して来ないではいられなかった背景と歴史をよく知り、それがまさに今変わらなければならない理由を理解することである。
これは別に目新しいことではない。19世紀にF.エンゲルスが、必然の国から自由の国へと呼んだものである。カウンセリングとはこの過程の促進のことのようである。
ついに3冊のデヴィッド・ハーヴェイを犠牲にして、エロ本、いやまちがった、信田さんの本を午後読み終えるに至った。
最後にはきつい一撃が待っていた。
(一字、野田改変)「多くの医師たちは骨の髄まで医療というものに侵食されていた。口々に医療の問題点を言いつのりながら、身振りや言葉の端々からは自らの立っている地位の自明性を疑っているようには思えなかった」〈252ページ)
貧困について語る医師の言葉はどの地点から真実になるのだろうか?
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