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2014年12月14日 (日)

「保健医療福祉 くせものキーワード事典」医学書院2008を読みながら

藤井博之先生から送ってもらった「保健医療福祉 くせものキーワード事典」医学書院2008のインフォームド・コンセント(IC)の項目を読みながら思ったこと

①日本における医師主体のICは、ハーバーマスの「道具的理性」と「対話的理性」の分類からみると、明らかに「道具的理性による他者操作」である。しかし、本当のICとして求められているのは「対話的理性による合意」である。

これを確認しようと、少しばかり検索すると極めて分かりやすい文書に行き当たった。アーレント、ハーバーマス、ロールズ、センまでの流れが一瞬にして分かる。

...

http://ss.sanonihon-u-h.ed.jp/…

なんと佐野日本大学中等教育校という栃木県佐野市にあるおそらく中高一貫校の社会科の試験問題の解答である。こんな教育を受けている高校生が多数出現すると日本の将来は明るいかもしれない。

②そのさい大事なのは、意思決定能力に障害のある認知症患者との間に成り立つICを考えれば分かることだが、対話による合意は、医療従事者側の「他者の心の理解」によるところが大きい。それが医療従事者の臨床能力のコアである。

それを主観的なものとして退けることに反対する根拠の一つに、北海道の伊古田先生が普及に力を入れている「社会脳の実在」があるだろう。

私たちは、前頭葉の内側を中心にした脳内の神経ネットワークで他者の心を理解する能力を生得的にもって生まれてきているのである。もしその他者理解の能力の正確さを否定するなら、人間の社会という概念も否定することになる。それはマーガレット・サッチャーが「社会なんてない、あるのは個人だけ」と言ってのけたことだが。

③この項の筆者は和田忠志さんだが、とくに、認知症患者のICや自己決定決定権を妨げている「家族のパターナリズム」について、それは倫理的問題でなく医療福祉における経済的問題であり、家族による介護が克服されて社会による介護が成立すればなくなってしまうことだといっているのは卓見だと思った。

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