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2014年11月17日 (月)

テオ・アンゲロプロス監督「エレニの帰郷」・・・時間は過去から未来に向かってただ延びているのではなく、その瞬間瞬間に僕らの目の前で生まれ続けているのだ。

この映画の音楽CD 「dust of time (エレニ・カラインドルー)」
http://www.discogs.com/Eleni-Karaindrou-Dust-Of-T…/…/1912027
は発売されて直ぐに買ったが、アンゲロプロスの遺作となる映画(邦題「エレニの帰郷」)の方は今日になってDVDでようやく見ることができた。

おそらく従来の輸入配給元になっていた「フランス映画社」の経営困難、倒産によるのだと思えるが、制作後4年以上経って今年1月にようやく日本で劇場公開された。英語への吹き替え版で、したがって翻訳もいつものように池澤夏樹ではない。

それにしても、僕が行く機会はなかったのである。

これまでのどの作品と比べてもストーリーが追いにくく難解を極めるが、この映画を見ることはできなかった加藤周一さんの言葉が助けになった。
『日本文化における時間と空間』岩波書店2007年http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/2/0242480.html
である。

時間は過去から未来に向かってただ延びているのではなく、その瞬間瞬間に僕らの目の前で生まれ続けているのだ。

だから、時間は雪のように降ってきて僕らや僕らの周囲に降り積もるように思える。
それが、映画の題名 dust of timeだ。

雪の中で立ち尽くして僕等は行く所も帰るところもない。

いつまでも、いま、ここに仮の姿でいるしかない。

それしかない。

つまり「難民」こそ僕らの存在様式である。

ふと中島みゆきの書いたレクイエムである「雪」を思い出す。(アルバム「 臨月」1981)

それでも出発するしかない。それだけが僕らのできることだ。

老境の監督が何の制約もないかのように撮った美しい映画の示す暗い希望が、難民の集う廃墟のビルの床で燃える焚き火のように僕の心にも燃え移ってくる。

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