少なくとも官僚組織は小泉時代までに保っていた開発主義的・部分的福祉国家志向から転向して、安倍時代には完全に新自由主義的政策作りの尖兵になった
僕が「民医連医療」11月号に書いた文章について、高名な研究者から短い感想が届いたという話を聞いた。読んでもらったということで嬉しくもあるが、それだけでは済ませられないだろう。
その感想とは
①三菱UFJ総研「地域包括ケア研究会」の代表である田中 滋慶大名誉教授はこれまで混合診療の導入に反対してきた良心的な学者であり、この人を新自由主義者だと批判するのは暴論だ。
②全国に100個くらい作られて、各地域の医療・介護を統合して支配しようとするする非営利ホールディング型カンパニー構想など、厚生労働省関係者の間では歯牙にもかけられていない。
という話である。
それについての僕の意見は以下のようなものである。
①について。
それは田中滋氏の個人の歴史(個人誌)に属することで、現在、彼が主張していることとは無関係だ。あくまで、彼の主張に即して検討する必要があり、そうすれば、僕の言ったような結論になる。地域包括ケアの土台に、「個人の覚悟」を据え、孤独死を自然死として受け入れることを説くのが、どうして新自由主義的でないのだろう。
また、これは田中 滋氏にそのまま当てはまるかどうかはっきりしないが、少なくとも、官僚組織は小泉時代までに保っていた開発主義的・部分的福祉国家志向から転向して、安倍時代には完全に新自由主義的政策作りの尖兵になっていたということである。小泉政権ごろ、何を言っていたかで、いまのポジションを判定できないのは、この例でも明らかだ。
②について。
現在の安倍政権の新自由主義政策の司令塔としては、財務省主導の経済財政諮問会議、経済産業省主導の産業競争力会議、及びより急進的な国家戦略特区諮問会議の三つが分立しており、相互の間には矛盾と反発があるから、産業競争力会議の政策が厚生労働省で無視されることは多々あるだろうが、それを理由に、その政策が無意味だということはできない。
確かにこれまでの例から言って経済産業省が唱える大きな改革プランがそのまま実現するということはないのかもしれないが、その方向に力が注がれることで、甚だしい荒廃が残るのは確実なのである。
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