生産力の新しい指標としてのQOL
柄谷行人「帝国の構造」青土社2014/8は、すでに精読した雑誌「現代思想」の連載をまとめて少し加筆したものなので、ほとんど新味が感じられず、惰性で読んでいると言ってもよい。
不破哲三さんが、雑誌「」に連載したものに僅かに書き足してハードカバーの本として売り出し、「」の熱心な読者の財布にため息をつかせているのと同じことを柄谷行人氏もやっているのである。
ただ、贈与と互酬を特徴とする交換様式Aが、交換様式Dとして高次元の回復を果たし「世界共和国」を生み出すのが未来社会だとするのであれば、それを推進する力はなんだろうと改めて考えさせられた。
柄谷は人間の意志や欲望を超えた協同への「欲動」、「衝迫」が歴史上常に働いているという。(57ページ、64ページ)あたかも性的衝動のようなものが人類史の中にあると言いたいふうである。
確かに、ある方向のベクトルが常に働いているというのは、加藤周一さんのいう日本文化論にも似ている。すなわち、雑種文化の中を貫き一つの文化としての特徴を作り出している日本文化の一定のベクトルの存在という考え方である。
しかし問題は社会構成体の土台に関わるものである。「協同」への衝動、というきわめて魅力的ではあるがやはり神秘的としか言いようのない説明では誰も納得させられないだろう。
マルクスが歴史の推進力を「社会の物質的生産諸力」すなわち生産力だと考えていたのは間違いない。
しかし、ひたすら生産力が拡大することを人類が望んでいるのかといえば、いまは疑問を持つ人が社会の大半となっている。「ゼロ成長」こそが、何より大切な地球の環境を保つ上でも必要だということである。
思うに、鉄鋼生産額などを生産力の指標と思い込んでしまうのは、1930年代のソ連で農村に膨大な餓死者を出しながら進められたスターリンによる暴力的な工業化の影響が私たちにも刷り込まれているからだろう。それがなくてはナチスに打ち勝つことができなかったという理由がくっついているのだ。だが、こういう固定的な思考は改められなければならない。
それでも生産力が歴史の推進力だということは間違いない、それを前提に未来社会を作り出す道を考えたい、というのが私の立場である。そうならば、生産力の指標を改めて考え直さなければならないのだろう。
聴濤 弘「マルクス主義と福祉国家」大月書店2012年もその問題に力を注いでいる(第五章 新しい社会経済システム」の探求)。結論は示されていないが、「福祉」と「自由な時間」の2項目が新しい指標の候補とされているのは間違いないだろう。
それを私の日常用語で言うとQOLである。QOLを生産力の指標として、その無限の拡大に向かう力こそが歴史の推進力だという大まかな見取り図が描けそうだ。
実は、患者のQOLの拡大への志向こそ私が思う民医連「らしさ」である。私が臨床医としてすべての時間を患者の診療に求められているのもかかわらずついついこのような雑文を書いてしまい仕事に支障をきたしてしまうのも、こう考えれば、私が民医連で活動している意味も見つかりそうだからである。
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