剰余価値の発生する場所
柄谷行人はいつかの対談で労働価値説は信じていると言っているが、著作の中では剰余価値の発生源を異なる社会の異なる価値体系間の貿易によるとしている。市場から剰余価値が生まれるというわけである。これはローザ・ルクセンブルク以来の考え方である。
資本論第1巻でのマルクスは、剰余価値の発生を説明しながら貿易する社会間に異なる価値体系がいつまでも存続することはありえないとし、市場の中から剰余価値が生まれるという考えは容赦無く退けた。彼が想定したのは地理的に閉ざされ完成された資本主義的生産様式であり、ここでは、彼は現実ではなく論理を語っているのである。
現実的には異なる価値体系が経済以外の力によっていつまでも持続させられたのが帝国主義であり、そこではローザ・ルクセンブルクの考えの方が正しかったということになるのだろうか。
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