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2014年10月17日 (金)

議論の整理

今日の諸会議のために僕の主張したいことを改めて簡単にまとめておきたい。

例えば結核が減少し、しかしまだ残っているのは社会的変化と貧困の未解決によるのであって抗結核剤の発明やその不備によるのではないことは多くの人がすでに気づいていることだった。

その延長線上でなされた幾つかの健康の社会的決定要因SDHの確定は、健康は専門分化した医学の成果によってではなく、貧富によってこそ決定されるということを否定できない形で示した。これは医学上のどの発見にも勝る発見だった。

SDHの確定の意義はそこにとどまるものでなく、第一に健康とそれに基づくQOLこそが正義の指標であり、さらに健康とQOLの平等が正義の目標そのものであることを明らかにしたことだった。

第二にはSDHに基づく健康影響評価HIAの開発によって、正義の立場から現実の政策評価を行い、かつ健康と正義に資する政策を示したことである。その最大のものがWHOによる健康戦略ヘルス・プロモーションであり、その成功の見込みが与えられることから健康権はその実現可能性を保証された(空想から科学になった)。

その健康戦略の現代日本における別の名前が地域包括ケアである。ヘルス・プロモーティング・ホスピタルHPHも地域包括ケアと無関係のものでなく、むしろ、地域包括ケアの中での病院・診療所のあり方をHPHと呼ぶである。

地域包括ケアの別名はまちづくりであるとも言える。
まちづくりと呼ぶとき、健康に与えられている時代の刻印が明瞭になる。
それは、新自由主義による、労働者の貧民化と地方の切り捨てと対決せざるをえないということである。

そこで、結論。
私たちの目標は、SDHの認識を生かして、自らの病院・診療所・諸事業所をHPHにしあげることにより地域包括ケアを作り上げ、新自由主義を克服するまちづくりを前進させることである。

その時の哲学がケアを社会の中心・目標におく「ケアの倫理」であり、実現されるのは健康とQOLの平等という現代の正義にほかならない。

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