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2014年10月14日 (火)

播州赤穂への出張

新専門医制度について話し合うということで、貴重な連休明けの火曜日に仕事を休んで播州赤穂に向かっている。

医師問題を考えるとき、専門医対総合医という相補的な枠組みだけでなく、むしろ、新自由主義の中での大都市対地方、あるいは富裕層対貧困層という対立的枠組みの方を僕は重視する。

それは最近、東京健生病院の根岸医師も気づき始めたことである。

この数年、福島や広島の被災地を訪れて感じるのは、災害の重みはそれぞれ違うものの、いずれにしてもこのままでは地方は災害まみれになって人が住めないところになって行くという予感だ。

災害はなくともインフラの劣化で人が住めなくなるというのは、自分の住んでいるところを含めて地方に普遍的な現象だろう。

山口県は1985年に160万人だった人口が2010年には145万人となったのである。25年間で人口の1割が失われたわけだ。

新自由主義による地方の消滅とはこういう過程をたどって行くものなのだろう。

それをどう押し返して行くかだが、今後の地方の復活に各県に一国立大学、一医学部があるというのは大きなアドヴァンテージと考えられる。
開発主義的自民党政治の貴重な遺産である。

だが、それをどう活かして行くかは今後の地方側の構えによる。
構えとは、大学や医学部を取り込んだ地方の産業構想、大学や医学部のミッションを地方側がともに考えるという姿勢に他ならない。

医学部に限って言えば、まず大学病院を地域医療の中で活性化させて行くことである。
地域住民が参加する地域医療システムの中に大学病院を、大学の自治を尊重しながら組み込んで行く。大学を一つの地方自治体と位置付けることも可能だろう。
各県の医療機関と対等平等の関係の中で担うべき役割を共通認識としなければならない。

医師養成機関としての役割からは、送り出す医師の半数は中小病院や診療所で働く総合医としながら、その質の高さを確保するべきだ。そのためには、地域の特性に立脚した総合診療科が医学部や地域医療システムの中でもっとも大きな学科にならなければならない。

医師配置は恣意的なものでなく、パブリックな協議のテーブルが用意されるべきだろう。そこには、住民の意思がきちんと反映されるべきだ。

地域の健康と正面から向き合うなら社会疫学的視点が医学部構成員共通の土台となるだろう。地域のSDHの特性から研究課題が生まれてこなければならない。
もちろん医師・医療従事者、教員の生涯研修・研究の拠点になることも求められる。そのための教員確保も必要である。

そのあたりまで考えて、一旦考えるのをやめることにする。眠くなったのもあるが、個人で考えて行くのは無理で、大学人や行政側にいる人とともに論じ合わなければ果たせない課題だと思うからである。
まずはそういう場を広く作ることである。雑誌「現代思想」が大学を特集として取り上げたりもしているのは、そういう時機が熟しているということでもあるだろう。日本科学者会議はこの問題にもっと積極的であるべきかもしれない。

考えてみれば、今日の出張が僕のそういう活動の第一歩である気がして来た。

さて、姫路で降りるのを寝過ごさなければいいが。

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