熱気球という希求
昨夜、日本映画専門チャンネルで「学校2」を久しぶりに見た。吉永小百合が選ぶ日本映画、というシリーズの一環である。
もう17年前の作品になるが、熱気球が幸せへの希求を象徴しつつも、最終的には救いのない映画である。そして日本社会の生き辛さはさらに大きくなっている。
じつは、映画を見ながら、そのような事例について考え込んでもいた。
「何もしてやれなくてごめん」と泣く人もどれだけ増えただろうか。もちろん僕もその一人である。
ところで、吉永小百合は、倍賞千恵子などと一緒に山田洋次が学校シリーズを作るのを支援する運動を続けながら、出演機会を狙っていたが、ダンプカーの運転手の役ができそうにないので諦めたと言っていた。
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