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2014年10月 5日 (日)

新自由主義と医療・介護

一国内に、従来の産業資本家対労働者の枠組みをはるかに超えた、価値体系や生活様式の全く異なる二つの集団を作り出すことができれば、集団間の交易は一方に莫大な富と、他方の貧窮を生むだろう。

ここで現れる剰余価値は、労働力が生み出したものより、集団間の価値体系の差による部分が大きい。言い換えると権力が剰余価値を生み出しているのである。

もちろん、両者とも内部では労働力による剰余価値の生産が続いているのではあるが。

それは、例示すると、大規模な病院に働く医療労働者は前者に属し、介護労働者は後者に属するということである。不正確すぎるだろうが、一つの比喩としては成り立つ。通常、医師や看護師は、介護労働者の収入の低さの改善を自らの要求にはしない。

一国内にこのような二つの集団を人為的に作り出そうとする権力が、新自由主義である。
新たに作り出される集団とは、大都市に集積する非正規労働者群であり、地方の滅亡、高齢者の早期死亡の促進はその結果である。

簡単に言うと、途上国の労働者並みの賃金で働く新労働者階級を、非正規労働者群として先進国の中に大量に生み出そうということである。

非正規労働者群の労働力再生産費用は極めて低く見積もられ、高い教育や無用な老後は計算されていない。彼らは一般に考えられる平均寿命よりはるかに短い時間で消費されることが期待されている。

では、旧自由主義とは何かというと、同様の価値体系の差により膨大な剰余価値を生み出す海外植民地を維持・拡大しようとする帝国主義と同義のものだったことになる。

以上がローザンヌ・ルクセンブルクや、エマニュエル・ウォラーステインの、単純な労働価値説への反論の現代的な当てはめなのだろう。

ちゃんと勉強した人からは噴飯物の議論だと思うが、市井の医師が何かの運動を始めようとするときの出発点の考えとして記録しておいた。

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