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2014年9月11日 (木)

平均への回帰

思わぬ外傷性腰痛で憂鬱な日々を送っているが、今日は大学の衛生学の教授をしている先輩と雑談をしてしばらく痛みをまぎらわすことにした。

話題は、エクセルを使った統計解析の手引きをしている西内 啓の新刊「1億人のための統計解析学」日経BP2014http://corporate.nikkeibp.co.jp/info/newsrelease/newsrelease20140324.shtml
についてであるが、先輩はそれを知らなかったので、話は昨年の本「統計学は最強の学問である」に集中した。その本は僕が読んだあと、彼に払い下げたのである。

それがどんな本であったかは次のブログの記事が優れている。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2013/03/2013-0b3e.html

教授が言うには、あの本で良かったのは「平均への回帰」がなぜ起こるかをスッキリ説明していたということである。

これは、優れていると思われた人たちの群、危険だと思われていた人たちの群も、何度も調査しているとごく普通の群になっていくという現象である。

難しい試験に合格して賢いと思われがちの医師も何年か経つと、ごく普通の人びとと変わらない、あるいはそれより愚かしい群になるのは僕自身の経験でもある。

教授はこれを疑問に思ってから20年位たくさんの統計の本を読んで答えを探して見つからず、医学生の試験に出題しても見たが、正解と思えるものを考え出した医学生には出会わなかった。

しかし、上記の本には答えが書いてある。ある年の試験や健診などの成績も確率的な揺らぎの中にあり、試験や健診を繰り返すとその揺らぎは消えて、次第に平均に近づくのである。

これは、ある年の試験や健診で下位の人にも当てはまる。

この話を友人にしたところ、医学部の学生がその人の人生の確率的揺らぎの中で、体調や問題と学習の符合など偶然得た高得点によって医師になり、やがて箸にも棒にもかからない愚物になるというのはわかるが、貧困の連鎖、格差の固定という私たちが闘っている課題をその説は否定してしまうのではないかと反論された。

そこで僕が考えたのはこういうことである。起こるべき「平均への回帰」が起こらないことこそ、その部分の不健全さ、不自然さ、やがて来る破綻を意味しているのだ。

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