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2014年9月20日 (土)

患者中心の医療 と精神科医 レイン

モイラ・スチュアートら「患者中心の医療」第3版2014の第6章「第3コンポーネント:共通基盤を見つける」の冒頭には、意外にも、新左翼的な反精神医学の旗手だったスコットランドの精神科医レイン(Laing)の次のような1960年の言葉が引用されている。


「医者がリアルな君を見ることができず、君が感じていることを理解できず、自分の考えだけでやって行こうとしているのを実感することは極め付けの恐怖感を引き起こすことである。私は自分が目に見えず、そこにいないことになっているかもしれないと感じることから出発しなければならない。」(野田仮訳)

でもなぜレインなのだろう。すでに忘れ去られ、軽侮さえされている感のある存在なのに。
しかし、中井久夫のレインについての解説http://www.arsvi.com/b1900/8509lr.htm
によれば 

「彼は、患者と治療者の区別を撤廃し、挑発的な実験病棟、一種の避難所、共同体を作った。現在、治療共同体という概念が市民権を得、種々のアジールが、さまざまな名のもとに生まれている。
 精神分裂病は、より積極的な生への旅路であると彼は挑発した。この旅路が、一部に言われているような快いフーガからは程遠く、途中で力尽きる者が多いとしても、これは、病いの重要な意味づけであり、今日の伴侶的精神療法の概念は、何よりもまず、患者の病いの旅路の伴侶という意味であるはずである。」
であるから、確かにふさわしい引用なのではある。


さて、第3コンポーネント 「共通基盤作り」 でだいじなことは、それが診療の最後にやおら作られるものでなく、最初っからやらなくてはならないということである。
医者という生物医学のエキスパートと、患者という彼自身についての、またその病気がどれだけ彼の希望に影響を与えているかの問題についてのエキスパートの出会いこそが共通基盤作りなのである。

*レインに関連して
レインの「引き裂かれた自己divided self」は今風に平野啓一郎にならって訳せば「分人」となる。
分人という概念は、やはり重要である。
はやりのユマニチュードも、ケアという行為を介して、ケアを受ける人とケアする人のなかに新たな分人を作ることである、そのためにケアの確かなスキルが必要だという展開のなかにある。

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