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2014年9月27日 (土)

2014.9.27 医療生協 理事会挨拶 

朝夕涼しくなりましたが、外来で診察していると比較的若い方の肺炎を発見することが多くなりました。皆さんもぜひお気をつけ願いたいと思います。

 

 

 

 この間のあれこれ、ごたごたで、理事会で冒頭挨拶をさせていただくのもこれで終わりにしようと考えていましたら、思わず資料が多くなってしまいました。

 

今回限りですのでお許し願いたいと思います。

 

 

 

写真を1枚おみせします。3週間前、神戸で開かれた全日本民医連の共同組織交流集会のオープニングのアトラクションとしてあった中国獅子舞の獅子に咬まれている私です。

 

獅子に咬まれると健康になるといいますが、そうもいきませんでした。分科会の助言者をしていたのですが、なぜか座長二人と助言者の3人が乗るひな壇がしつらえてあって、それがすごく狭いのです。座長のお二人に邪魔にならないように隅っこにいて、プレゼンテーションをよく見ようと椅子をずらしたら、50cmくらいの高さから椅子ごと転落しました。会場設営自体が危険だったのだと思います。そのあと、今日までずっと痛くて、だんだん憂鬱になってきました。いまのところ、何とか仕事だけは続けて、夜の諸会議は参加を遠慮しています。この理事会も休もうかと思っていたのですが、ここで休むと理事長も辞めたくなりそうなので、がんばって出てきました。

 

とても不運だった共同組織交流会ですが、各地で共同組織自体の社会貢献を通じたまちづくりに努力している姿を知ることが出来たのは幸せでした。とくに、震災被害が甚大だった神戸市長田(ながた)地区で、便利屋のNPOを結成して幅広いサービスを提供しているのには感心しました。家を空けると泥棒が入るかも知れないという心配で外出できない人のために、買い物の間の留守番をするサービスもあるのです。

 

 高齢者だけでなく、小中学生のための無料塾も普及しているようでした。足りないと思ったのは、もっと小さな子どもや妊娠・出産後の母親へのサービスです。この領域はまだ十分に研究されていないので努力のしがいのあるところです。

 

 ○共同組織交流会の直前に神戸から広島に行って今回の水害の被災地も見てきました。きわめて危険な場所で無理な宅地造成をした結果としての人災だと思えました。

 

 実は私の父が広島市安佐北区に隣接する北広島町で一人暮らしをしているのですが、その水害について興味深い話をしてくれました。一晩中続く雷と豪雨で身の危険を感じた父は、広域合併して出来た北広島町の、前の豊平町役場でいまは支所となっている出先に電話して自主避難場所を尋ねたところ、夜間担当者が避難場所は知っているが鍵の在り処が分からないと答えたとのことでした。 役場から支所になって大規模な人事異動があり、地域に全く縁の無い人が支所につめていたわけです。決められた避難場所が使えないとなるとどこがいいだろうか、と粘って尋ねた父に、近くの大規模体育館の名前を担当者は挙げました。ではそこには当直がいて開けてくれるのかと言うと、それは知らないと答えたとのことです。結局、父は自主避難を諦めました。結果論からいうと、道路が川のようになっていたから避難は無理だったわけですが。

 

その後、ボタンを押すと救急隊に直結する「安心電話」を役場に依頼することを父は思いつきましたが、それにはふだんから鍵を預けておく協力者がいることが条件だということでうまくいきませんでした
 学校退職後に近くに出来た新分譲団地にそのまま住み着いた父には、母の急死後は付近に親戚もなく、鍵を預かるという責任を負わせることのできるほどの近所づきあいもなかったわけです。

 

これではあまりに粗い住民サービスとしか言いようがなく、やはり、大規模合併の広域自治体は一人暮らし老人の孤独死に真剣に向かい合う気は無いのだなとおもわれました。

 

○この辺りの問題意識から雑誌「世界」の9月、10月号を改めて読みますと、とても学ぶところの多い記事がたくさんありました。資料1

 

2014/5/8の増田レポートが衝撃的に2040年の「消滅可能性都市」「消滅する市町村」と名指したのは正しいのか。もちろん間違っており、雑誌「世界」9月号では小田切 徳美さんが「『農村たたみ』に抗する田園回帰」で以下のように批判しています。(193ページ)=資料2

 

「要するに『市町村消滅』が言われることにより、乱暴な『農村たたみ論』が強力に立ち上がり、他方では『どうせ消滅するんでしょう』というあきらめが農村を席巻する。そして、それに乗じるショック・ドクトリン「自治体・社会保障・雇用などの制度リセット論」が紛れ込み、3者が入り乱れる状況が進行するのである」(一部 野田改変)

 

「世界」10月号で京大の岡田知弘先生は、大規模自治体からの分離分割を求める運動の意義を説いています。これは本気で取り組むべき課題だろうと思います。
  ○さて、一昨日の新聞には、三菱重工下関造船所の下請け労働者のじん肺裁判の控訴審勝利の記事が載っていました。=資料34

 

 原告の患者さんの多くは私の患者さんで、一審では私の診断がぼろぼろにされました。内科の代表的な教科書の執筆者になっているような呼吸器科の専門医たちが三菱側に立って「じん肺は単純X線写真では診断できない。CTで診断しなくてはだめだ。野田は専門家でなくCTを読む能力はない。野田の診断は信頼できない」と個人攻撃してきました。私の書いた診断書で患者さんたちが国によって労災認定されていること自体が誤りだったというわけです。

 

一審はそれで敗訴してしまいました。別に私はそれで挫けることはなかったのですが、時期を同じくして個人的な不幸がおきたので控訴審では十分な協力が出来ず、そのためそれまでは仲が良かった弁護士さんとも疎遠になってしまいました。その弁護士さんも今年、急死されてしまい、協力し合える関係を再び作る機会が永遠になくなったわけですが、今回、単純X線写真やCT所見だけでなく労働歴を十分汲み取った元の診断が正しいという判決を得ました。これには、途中で死亡した患者さんが解剖され、その肺が明らかなアスベスト肺であったということも大きく作用しています。

 

もし、CTだけでじん肺を診断するということになれば、国の認定体系が大きく崩れ、職歴、粉塵被曝歴がまったく無視されるということになるところでした。ともあれ、良かったと喜んでいます。

 

○同じ日の新聞に黒田 裕子さんの死亡記事が載っていました=資料3。

 

黒田さんがどういう人なのかは資料をお読みいただきたいと思います。=資料5

 

○まちづくりをいろいろ考えるのもよいのですが、一番大事なのは、困っている人に共感し、どこまでも寄り添って見捨てない、関わっていくという「気持ち」だということを考えさせられます。綱領だ、憲章だ、と文章を担ぎまわる以前の、民医連「らしさ」、医療生協「らしさ」というものはこの辺りにあり、この「らしさ」のほうが○○綱領や○○憲章よりよっぽど大事だと私は最近考えるようになりました。

 

 

 

神戸市関連でいえば、岩波現代文庫に納められた「孤独死」という本を書き、《たとえ最後に病院に収容されたとしても、生き様としてはむごいむごい孤独死・・・まさにそうとしか言えない人の見送りを今朝私もしてきましたが・・・が現代にはあふれている》ということを厳しく指摘した額田勲先生(この人は友人でした)も亡くなり、この黒田裕子さん(面識はありませんでしたが)も亡くなったいま、「らしさ」を受け継ぐ若い人を一人でも多く作るのが生き残っているものの仕事かと思います。

 

 

 

最後に、雑誌「民医連医療」10月号に掲載された、山口民医連関係の記事をご紹介します。本来、私が執筆するべきページだったのですが、「民医連らしさ」を良くあらわしている事例だと思ったのでお二人に寄稿を依頼したものです。これも後ほどお読みいただければ幸いです。=資料6

 

 

 

以上で挨拶を終わり、本日の理事会の議長を指名させていただきます。

          

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